桐山浩実さんからのメッセージ
昔から暮らしの中で使われてきた道具には、その歴史と経験が作り出した形がある。その形や機能には、そうでなくてはならないという、がんとして譲らない理由、こだわりがある。いやあったという方がいいかもしれない。そして今、永い時間と知恵が作り出した道具は、便利で安い大量生産のものに、その存在の意味を消されつつある。
「もの」の意味は、人間の感性や慎ましい暮らしを一瞬にして変えてしまい、さらに経済性の追求が、単純に時間の流れを加速させ、本来の価値観を無意味にしてしまう。暮らしの中の道具の一つを担う竹篭作りを生業としていて、今の世の中の流れにそったものと、昔から暮らしをそっと支えてきた民具としての竹篭の間の、大きく深い時間と、意味の隔たりに思いを巡らす日々。
竹の皮や竹篭は、食べ物を雑菌から守り、保存させるという妙なる性質を持つ。飯篭といわれるものは、ごはんを入れ風通しのよい所に掛けておくと、ごはんが腐らず長持ちする。
「いりこ篭」と呼ばれる篭は、山の民がカルシウム源としての海のもの、魚やいりこなどを入れ、吊るしておき長期保存しておくための篭である。確実に暮らしの中に存在理由があったのだ。そのいりこ篭という、用も美もまさしく兼ね備えた、圧倒的な竹篭を作った。
山村で竹篭を編み続ける翁の作り出した、歴史を知る竹篭を手本として。迷いの気持ちでいると、かるく跳ね返された。それの持つ意味の重さが、そう簡単にはわたしを寄せつけない。技術が作り出すのではなく、心が、願いが作り出すのだ。もちろん、その篭が本来のその役割を果たすかといえば、まず否と言っていい。しかし作る意味はある。作り続ける役割がある。たとえそれが整理篭や花篭として使われるとしても、いりこ篭を作る意味があるのだ。跳ね返され挫折し、その形に歴史を彷徨う。ただ形として、しかしながら、なんとか形としてできあがったいりこ篭。その山村の師にその意味を、形を問い、形となったいりこ篭の意味を問い、その意味は遠く近く後ろからわたしを追いこし、この篭に心を入れてくれた。
民具としての本質的な竹篭作りは、続けてゆく絶対的な意味があるのだ。
次ページには、「桐山さん竹篭」の使用例を写真集にしてあります。ぜひ、ご覧ください。
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