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『日本刺繍作家 森 康次さんを訪ねて』

初めて森さんにお会いしたのは2009年春、東京の展覧会場でのこと。その折、森さんが最近、家業の後継ぎを公募で募り、若い女性が選ばれたと伺い、大いに興味をそそられ、そのユニークな後継ぎ探しの顛末も伺いたく、京都市北区の静かな住宅街に、森 康次さんの工房をお訪ねしました。

刺繍は古くから世界中で用いられてきた装飾の一つです。針で色糸を布に刺すという単純なしくみながら、用いる絹糸の色はむろん、糸の太さ、本数、粗・密、撚り加減など、組み合せによって無数の表現が可能です。
最初に説明されたのは、着物への刺繍には二種類あることでした。一つは「あしらい刺繍」。友禅で模様が染められたうえに、部分的に刺繍をのせたもののこと。もう一つは「素繍い(すぬい)」。白い着尺布に地色を引き染めしたうえに刺繍をのせます。森さんの刺繍はこの素繍いです。
作業の最初は、糸の準備。刺繍糸は撚りをかけていない無撚糸を使います。21デニールで合糸された絹糸を、12本合わせて一本の糸を作り、500mを一綛(ひとかせ)にします。この一綛を思いの色に染めます。森さんの工房では、染糸を常に2500色以上準備しているそうです。画家のパレットのように、澄んだ色相に染められた糸が出を待っています。
次に撚り(より)です。刺繍糸は無撚糸ですから摩擦に弱く、そのため森さんは必要な糸を必要な分だけ撚って「より糸」を作ります。一本の糸を、フックにVの字にかけ、片方の尖端を歯でくわえ、両掌で撚りをかけます。左右の糸を右により、2本合わせて左によりをかけ、両端を離した時に撚りが戻ってしまわないようにします。森さんがしているといかにも簡単そうに見えましたが、熟練の技と拝見しました。

森さんの苦心は、そのデザインにあります。この道に入った頃は、徹底的にデッサンの練習をしたといいます。正確なデッサンをぎりぎりまで単純化し、進化させ、現代を感じさせるような洗練されたデザインに仕上げます。地色と同じ色に着色された画用紙に模様をのせ、完成予想図を描きます。これが「着色ひな形」です。この段階が色を変更する最後のチャンス。時間をおき、見直し、違和感がなければ実寸に拡大。草稿紙という薄紙に線画で鉛筆描きしたものを反物状の生地に写し、下絵とします。ここからやっと刺繍という作業が始まります。着色ひな形をたよりに配色の微調整をしながら作業を進めます。どの段階も気も手も抜けない作業です。
森さんは、着物だけが目立ってしまってはいけない、帯も、帯締めも、半襟も、すべての要素が一つになって美しい着物姿が生まれると信じています。ですから、地色も模様も主張しすぎるものはなく、ちょっと地味かな、と思うくらいにまで抑えられています。品がよく、飽きがこず、コーディネートしやすい着物ばかりです。

森さんには息子さんがいらっしゃいますが、他の職業を選びたいと言われたとき、ぜひにも後を継いでほしいと引き止めなかったそうです。2006年1月、ご自分のHPで、『後継者の公募』という、ちょっと珍しい告知を載せました。従業員の募集ではなく、ご自分のすべてを託してゆくべき後継者を公募したのです。その呼びかけに応えたのが山梨県ご出身の佐藤未知さん。大学卒業後、東京の法律事務所でお勤めをし、趣味でカルチャーセンターの刺繍講座をとっていました。森工房の後継ぎ募集を見てすぐに応募。習っていたのとはまるで違う森さんの刺繍に驚いたといいます。6ヶ月の通信教育の後、2007年1月、京都へ引っ越し。それからもアルバイトをし、週に3日〜4日の工房通いが続きました。初めて本格的な週6日の修行が始まったのは、佐藤さんが京都へきてから二年あまりの歳月がたった頃でした。本格的に弟子入りするまでに一定の期間があったことは、きっと双方にとってとても良いことだったのでしょう。佐藤さんが京都へきて4年が経とうとしています。森さんは、彼が15歳のとき父から学び、培ってきた刺繍にまつわるノウハウや道具類など、一切合切を佐藤さんに譲り遺すおつもりだそうです。
家業の手仕事の後を継ぐのは、やはり我が子や親族にと望み、その結果、家業が途絶えてしまうことが多く見られる昨今、やる気があり、自分の目でその才能を見込み、仕込んだ他人に後を継いでもらうのも、これから工芸が続いてゆくための一つの選択肢だと思いました。森さんの思慮深い決断と寛いこころに拍手を送りたいと思います。

森さんは、39歳のとき日本伝統工芸展に初入選、以来入選をくり返し、若くして正会員となりましたが、この10数年、出品には距離を置き、独自の刺繍の世界を淡々と歩んでこられました。
『一針一針は伝統を受け継ぎながらも、出来上がった作品は、平成の時代の息吹が感じられるものでありたい』が森さんのモットー。 日本伝統工芸展への再出品のご意志をお伺いすると、その可能性もありそうなお返事でした。近い将来、森さんの新境地が見られるかもしれません。心待ちにしたいと思います。
(工房スナップ以外の写真は、森さん撮影)
森さんのサイト
    (2010/12 よこやまゆうこ)

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