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『地中海航海日誌その9 <Epidaurus(エピダウルス)、ギリシャの古代劇とCorinth(コリント)の運河>』

旅も終わりに近づいた。船はギリシャの港町Napflio(ナプフリオ)に停泊。夕刻からのギリシャ悲劇鑑賞に備え船内で過ごす。まだ陽の高い7時にテンダー(渡し舟)に乗り込み、バスで30分。観劇とあって、おめかししているご婦人も多い。30分ほどでエピダウルスに到着。ローカルガイドのおばさんにギリシャ悲劇鑑賞の勘所を仕込まれて期待が高まる。
ナプフリオの町はペルポネソス半島東部にあり、青銅器時代から港町として開け、独立を勝ち取ってからはギリシャ最初の首都として栄えた。エピダウルスは薬学発祥の地とされており、最古の建物は6世紀のものが残っているという。ハイヒールのご婦人方にはちょっと過酷なアプローチであった小高い丘の上にある4世紀に作られた円形劇場に到着。劇場はかなり古いにもかかわらず保存状態がよく、1万4千人を収容できる。当夜の演目は、紀元前415年ユーリピデス作『トロイの女』。10時から始まり終わったのが深夜12時過ぎ。石の階段に座り、科白の分からない前衛風悲劇を観るのは気力と体力がいった。ピナ・ヴァウシュの影響が舞踏に見られた。撮影禁止のアナウンスに観客は残念そうだったが、演者にとっては当然のことと納得できる迫力と緊張感、観る者を集中させるに足る演技だった。やはり演劇の伝統は一朝にしてならずということか。帰路のバスでガイドのおばさんは、“わたしゃ、今日のような今風アレンジは好かん!”“年のせいかしら、、、”とぶつぶつ。こちらは白川夜舟。
  寝不足をかこちながら、コリントス運河見学。この辺り一帯の土地は限りなく乾燥している。が、小ぶりの実をつけた無花果の大木はどこにもあり、ライムのような柑橘系も青い実をびっしりつけ、ブーゲンビリア、夾竹桃、凌霄花、松笠びっしりの葉の長い松の緑は目を潤し、枝を小鳥が忙しなく動いているのも楽し気。蝉もうるさくないほどに鳴いている。因に、小ぶりの無花果の甘いことと言ったらない!皮ごと一口で食べてしまうのでついつい、、、。
コリントス運河はコリント湾とエーゲ海のサロニコス湾を結び、長さ6、5km,幅20m余、深さ8mの切り通し。幅が狭いので圧迫感がある。運河というものに馴染みがないので、どうやって掘ったのかとか、土は何処へ持っていたのやら、など一度運河作りの本を読んでみようと思う。運河を掘る考えは紀元前7世紀からあり、あの皇帝ネロは奴隷6000人を使い3.3kmを掘り始めたが自殺にて中断、とはいえ、古代ローマの土木技術の高さがここでもわかると言われている。この運河の特徴は門が跳ねあげ式ではなく、水中に沈む方式である、と船長さんの説明。水中から上がってきたときに魚が乗っかっていることもあり、それを目当てに待っている人もいるそう。暢気な漁だ。
さて、いよいよ炎天下のコリント遺跡探訪。真夏のギリシャの日射しはこんなもんだ!と言わんばかりに照りつける。コリントと聞いてまず思い浮かぶのは新約聖書「コリント人への手紙」だ。AD1世紀、使徒パウロが、繁栄とともに娼婦が1000人もいたというコリントの風紀の乱れを戒めるというくだりがある。
コリントスは紀元前5世紀アテネ、スパルタにならぶ三大都市国家であった、あたりから始まる長い歴史はwikipediaにお任せして、感動したのは、よく残っている遺跡であること。巨大な列柱が立ち並び、彫刻のある土台、梁などがごろごろとあるので、往時の町の様子を想像し易い。アゴラは人の集まる賑やかなところ=市場、アポロの神殿、今は涸れてしまった泉跡が見所。脇に小さな美術館があり、地元の強みのような感じで沢山の展示物があまり整理も良くない状態で無造作に置いてある。もったいぶらないで見せてくれるのがよい。
(遺跡のパノラマ写真を載せたかったが、残念なことにSONYデジタルカメラが壊れた!)
※各写真をクリックすると拡大します
(2013/8 よこやまゆうこ)

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