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『ステンドグラス作家奥住春樹さんを訪ねて』

9月初旬の長野県富士見高原は、からりと晴れ上がった空に稲穂が色づき始めていました。ステンドグラス作家奥住春樹さんの工房は釜無川の支流に囲まれた中州に建ち、たえず川のせせらぎが聞こえてきます。
奥住さんは根っからの山男。ステンドグラスの話題に入るまえに、まず山のこと。というのも、奥住さんがステンドグラスを仕事とするようになったのは、山の事故に遭遇したからとも言えそうだからです。大学3回生のとき、秋の谷川岳で岩登り中に滑落。首の骨を折り垂直の岩に体を縛りつけビバーク、24時間後に200m引き上げられて命拾い。半年の入院とリハビリ。その1年余り後、車に追突されて再入院。病の癒えた25才の青年が、住まい、人間関係、仕事を“ゼロから出発しよう”との心境に至ったとき、もともと好きだったガラスという素材を手にしていました。熱いガラスを吹いて成形するホットグラスではなく、コールドグラス。子供のころ、歯磨き粉の緑色のガラス容器に水を入れて陽にかざして光を見るのが好きだったとか。ひとの仕事の根っ子には、何かこうした、直感的に魅かれた体験が身体の中に眠っていて、それが決めてとなることがよくあるような気がします。
リバビリで滞在した白馬の環境は、奥住さんの心身を癒し、もう東京にはもどりたくないと思うようになっていました。そこで、資金を叩いて廃材を買い、八ヶ岳山麓に12坪の最初の家を独力で建て、独学でステンドグラスを作り始めました。数年たったある時、東京のデパートでイタリアのステンドグラス職人の実演があるというので見学に。矢継ぎ早に質問する青年の熱意はハンパじゃない雰囲気を醸しだしていたのか、日本のステンドグラスの老舗工房の女性デザイナーに声をかけられ、その縁でガラスや鉛のレールを分けてもらえるようになりました。これをきっかけに、仕事は軌道に乗ってゆきます。自ら運を呼び込んだのでしょう。
  使うガラスの色とデザインの組合せで印象をがらりと変えられるのがステンドグラスの醍醐味。寺の天井やレストラン、公共の場には鮮やかな色を使って成功しました。奥住さんは、ティファニーランプのようなステンドグラスも否定はしないけれど、日本の住環境には不釣り合いだと感じています。確かに、強い色調のガラスを透過する濃厚な光は、白壁のマンションや、明るい色のフローリングのインテリアには調和しにくいかもしれません。そこで、奥住さんが個人住宅に好んで使うのは、手焼きの透明な泡ガラス、筋が残るガラス、乳白色のガラスなどです。デザインもシンプルで大らか。これまでは抽象的なデザインが多かったのですが、最近魅せられているのは“ミジンコ”などミクロの拡大図。緑を背景にミジンコが窓にとりついているのはユーモラスで意外性たっぷり。
奥住さんの素材や色使いを見て、ステンドグラスはもっと日本の室内に馴染んだかたちで取り入れる可能性があると思いました。隣家が接近していたり、眺めが悪い住宅事情は変えることはできませんが、アートな気分と実用で窓辺を一工夫できるような気がします。(http://www.glassworks.jp/
    (2013/9 よこやまゆうこ)

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