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『木曽漆器のちきりや手塚万右衛門漆器工房を訪ねて』

国道19号線の塩尻を越えると、「ここより木曽路」の看板。道にからむように奈良井川とJR中央西線の単線が、右に左にと並走します。その両脇には深緑をたたえた針葉樹の聳える山。一昔前は長距離トラック運転手の人気食堂であり、鯖の扱いが日本一と噂された「S.S食堂」の“安くてうまい食事のデパート”の看板の文句が、往時を忍ばせるかのように、今はちょっと寂れた風情で佇んでいます。
木曽路は、文化庁の日本遺産の指定を受け、1970年代「ディスカバー・ジャパン」が賑やかなりし頃から人気スポットの座を守っています。ところが、木曽平沢は商工の町として発展したため、宿場町であった奈良井宿のようにブームに乗ることができず、今も旅行者は少なく、通り添いの店もやる気のなさそうな佇まい。その中にあって、ちきりやさんだけが、多種多様な漆器や歴史を忍ばせる資料・道具の展示など、充実したショールームを設け、常時お客さまをお待ちしています。


木曽漆器といっても、馴染みのうすい方が多いでしょうか。それは、この産地がもっぱら料亭、料理屋、旅館などに座卓を主に供給してきたからです。座卓といえば木曽、と言われていました。高度経済成長期には生産が間に合わず、業者のトラックが工房の前に並んで出荷を待った、とか、3本脚の座卓でも売れる、との笑い話さえあったそう。こうして全国各地に配送されていった座卓も、不況がきて業務用が激減、ライフスタイルの変化とともに家庭の客間からも消えという具合に、一品目集中生産をしてきた産地は危機を迎えました。



ちきりや万右衛門商店は、寛政年間の(1789~1800年)創業、当主手塚英明さんで7代目。母系で引き継がれてきました。産地が危機に直面したとき、ちきりやさんが幸運だったのは、座卓に手を出さず、もっぱら椀、重箱、盆、箸などの日々の暮らしの器を作っていたことでした。家業を背負っていた母親の女性としての判断が吉と出たというべきでしょうか。

手塚さんは当主であると同時に作り手でもあります。時代の気分をすくいあげ、若い人たちにも関心をもってもらえる器は何か、を常に考えてこられました。25年前に始めた「畢生(ひっせい)シリーズ」は、生まれた時から漆に馴染み、生涯使い続けるような日本人が増えてほしいとの念いから生まれました。当時は珍しかった子供用の小さな椀や箸を、同じ手間ひまかけて作り、デパートや展示会で丁寧に説明し、お客さまのこころを掴んできました。墨春慶塗の技法を用いた重箱では、2000年に通商産業大臣賞を受賞。クルーズで来日したアメリカ人ご夫婦がたいそう気に入られ求められたそうです。きっとホームパーティで使われているのでしょう。因に、墨春慶塗とは、江戸時代の花見弁当に墨で書かれた屋号や家紋を木曽春慶塗で仕上げたものからヒントを得て、手塚さんが試行錯誤の末に完成させたものです。
後10年は頑張る、そのあとのことはその時に考える、とおっしゃる手塚さんの横で、奥さまもにこやかに頷いていらっしゃいました。

ちきりやさんのウエブサイト:
http://www.chikiriya.co.jp

    (2016/8 よこやまゆうこ)

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