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<番外編><シリーズ・私のたからもの>『建築家高木信治さんのたからもの:ネパールでの出来事』
   今回の執筆者高木信治さんは、2014年6月のSideStory#299から2015年7月までの1年間10回にわたり、能登半島の自然や歴史、建造物について、建築家の目から見た深掘りレポートを送ってくださいました。高木さんが建物をめぐる海外への旅の中から手にした宝物を紹介してくださいました。
   賽(さい)の河原とはこのようなところを言うのであろうか・・・。 私の乗っていた馬が突然前足を折ったかのように崩れるように前のめりになり、私は空中に放り出された。1回転して漬物石のような石群の上に背中から落下したのだ。幸い鐙(あぶみ)に足を深く入れてなかったために頭から落ちることはなく、冥土に行くことは免れたが、息も出来ないほどの背中の激痛で悶絶。しばらく「賽の河原」で横たわっていたのである。一瞬の出来事のあと、同行メンバーから「高木さんはヤクの骨の数珠をしていたから助かったのだ」と言われた。出発前日にチベットから来ていた人から買ったものだった。
   私たちはネパールの北西部の山間のツクチェ村から、ネパールの中都市ポカラまでの5日間の徒歩での山旅に出発したばかりだった。山の天気は変わりやすく、ポカラから迎えに来るフライトが不確かなために、確実な徒歩での山旅になったのであった。アンナプルナやダウラギリを眺めながらの初めてのトレッキングは、私にとって今までにない素晴らしい経験だった。途中の村々では、人々は昔と変わらない生活を続けている。けっして豊かではないが大自然と共に悠久の世界に生きている。子供たちも川原で乾いたヤクの糞を拾い集め背中の篭に投げ込んでいる。
   道すがら見る彼らの住まいは、まさに近くで手に入る最小限の資材で建てられている。岩や小石、泥や土、そして小さな貴重な木材など。山の崖道はトラックは走れない。すべて人や馬によって崖道を運ばれ、人の手によって建てられるのだ。村にはゴンパ(お寺)があり曼荼羅が懸かっている。チョルテン(石を積んだ小さな仏塔)があり、タルチョウ(経文を書いた旗)がはためく。マニ車を廻し村を出発しての山旅は、日本での恵まれた文明社会で生活してきた私には、とても厳しいものであったが、途中で振り返り村を見ると、大自然の中に在るつつましい村のたたずまいが何と美しく、涙が出そうなほどに美しい。出発して何日目かの凍るように寒い朝早く、私は粗末な山小屋を出て近くをを散歩した。後方の峻厳な山々を背景に小さな平屋の家があり、屋根から青い煙が立ち昇っている。近づきそっと中を伺うと、若い母親が朝餉の支度中だ。3人の薄着の子供たちと年老いた爺が、小さな火を囲んでじっと待っている。あの小さな火は、きっとヤクの乾燥糞に違いない。そこにはささやかだが確かな悠久の時間が流れているのを感じた。
   これは30年ほど前のネパールの山旅での回想だが、現地で買い求めた器やヤクの数珠と共に私にとってかけがいのない宝物となっている。

高木信治・輪島
(2022/4 よこやまゆうこ)

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