二家本さんの強みは、物怖じせず、何事にも積極的に挑戦されることと拝見してきました。その姿勢が好運を呼び込んだとしても、不思議ではありません。
私の宝物、それは人の縁です。 奄美大島で大島紬の織物問屋を営む家に生まれ、幼い頃から紬に親しむ生活の中で、織りで生きていきたいと思ったのは必然かもしれませんが、それを可能にしたのは人の縁だと思っています。
子供の頃には既に、織り作家として生きていきたいという念いが芽生えていましたが、なかなか機会に恵まれず、鹿児島の高等学校卒業後は東京にいる叔母を頼って学校に通い、銀座でOL生活を満喫しました。それでも織りへの念いは断ち切れず、結婚後に田舎から織り機を送ってもらって習い始めました。このように、最初の一歩を踏み出すまでには長い年月がかかり、織りの手習いは壮年期からのスタートとなりました。
自宅に織り機を備えて制作に没頭する日々。そんな折、故郷奄美大島の廃業する地元企業から、泥染めされた糸の処分に困っているので何とかならないか、という話を受け、すべての糸を引き取ることにしたのです。ところが、送られてきたその量は予想外に多く、大変驚きました。その大量の糸の中には、古くてそのままでは使えない糸も含まれていて、そういった糸はまた真綿に引き戻して糸に引き直したりと 試行錯誤する中で、大島紬の糸を撚糸して織る作風が生まれました。 ふんだんな良質の素材に恵まれたおかげで、織りの表現は深く複雑なものとなり、制作はどんどん進みました。
展示会への参加など、織り手としての生活を続けて交流が広がるなか、東京広尾にある「ギャラリー 旬」(2010 年に閉廊)の展示会を見る機会に恵まれました。自作のストールを首に巻いてギャラ リーにお邪魔すると、そのストールがオーナーの目に留まり、その場で個展のお誘いをいただき、以後、毎年呼んでいただけるようになりました。お世話になっていた数年間、工芸に造詣の深い国内外のお客様に作品を紹介してくださって、今も作家活動が続けていられるのは、この方のサポートがあったからだと思っています。
ある年、私の個展が終了して次の作家さんの展示が始まっている時に、テキスタイルの神様ともいわれる研究家のジャック・L・ラーセン氏がギャラリーを訪れることとなり、オーナーのご配慮で、展示期間外にも関わらず私の作品もディスプレイして氏を迎えてくださったところ、その作品がラーセン氏の目に留まり、大変興味を持っていただけたとのお話を、後日談として伺いました。その翌年、ギャラ リーにご本人から手紙が届き、ワシントン D.C.にあるテキスタイル・ミュージアムで開催される企画展への作品制作のオファーを受けました。オーナーも私も、大変光栄なお話にとても驚きましたが、またとない機会に心が躍り、快諾しました。現地へ招待されて会場を視察し、その後 2 年の歳月をかけて作品を制作してミュージアムに収めるというもので、本当に貴重な経験となりました。 展示が始まる頃には、オープニング・レセプションにご招待いただき、一生の思い出となりました。
ギャラリーでの毎年の個展と、ミュージアムでの展示という濃密な機織り生活を経て、請け負った大量の大島紬糸はほぼ底を尽き、時同じくして、長らくお世話になった「ギャラリー旬」のオーナーがギャラリーを閉じ勇退されるとの知らせを受けました。 さて、今後の創作活動をどうしようかと思い巡らせ、制作のペースを落としつつも、機会を見つけては展示を続けて数年が経過した頃、街のギャラリーで活動する若い作家さんを人づてに紹介していただきました。ありがたいことに、その作家さんから手織り作品の制作をご依頼いただいたので すが、今までと異なり、手元にある糸は限られています。するとその矢先に、懇意にしている織り仲間から連絡があり、近々工房を閉じる染織作家が、大切にストックしてきた大量の絹糸の譲り先として、私をご指名してくださっているとのことでした。もちろん二つ返事でお受けして、ご縁を繋いでいただきました。丹念に草木染めを施し、長い年月をかけて熟成され、こっくりとした鮮やかな色とまばゆい光を放つ美しい糸。その糸に感化されて、従来の大島紬だけでなく、カラフルな絞りを使った裂き織りを織ってみたり、表現の幅がまた大きく広がりました。しかも素材に事欠く心配もなく、アイディアが浮かぶ傍から制作に着手することができる。本当に奇跡のようで、人のご縁に助けられ、後押しされて、日々楽しく過ごすことができ、大変ありがたいことだと思っています。
途切れそうな糸が要所要所でつながり、新たな世界へ誘われてゆく私の人生、そして織り生活そのものが、人の縁が織りなす綾のようだと感じています。
(写真は全て写真家・川口 保)
《二家本亜弥子 プロフィール》
奄美大島生まれ、徳之島育ち。 大島紬問屋を営む両親のもとで育つ。 30歳から織物を始め、多摩美術大卒の若林純子氏のもとで織物の手ほどきを受ける。 以後、奄美大島や徳之島の芭蕉布をはじめ、絹糸(真綿糸、スラブ糸、リング糸、髭糸な ど)、綿糸、麻糸、カシミヤ、毛糸で独自に研鑽を重ね、大島紬の糸を撚糸する方法に辿り着き、現在のスタイルを確立する。 近年は、大島紬や絞りの織物を使った独自の裂き織りの手法も駆使して、より複雑で奥深い織りと色の世界を探求している。
(2022/12 よこやまゆうこ)
(C)Copyright 2004 Jomon-sha Inc, All rights reserved.
このホームページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。