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南フランス滞在記 〜その2〜 ムスティエのファイアンス陶器


南フランスからのSide Story第2弾は、滞在しているアヴィニヨンから真直ぐ東に3時間ほど走ったところにあるMoustiers-Ste-Marieムスティエ-サント-マリーに伝わる工芸品、Faienceファイアンスと呼ばれる陶器をご紹介しよう。ファイアンスの名前は最大の生産地であったイタリアのFaenzaから来たものとされており、比較的柔らかい焼物である。

ムスティエの南にはGrand Canyon du Verdonと呼ばれる、その昔の地殻運動を想像させる絶景の峡谷が開けている。ムスティエは、渓谷への入口の町だ。ミシュラン・ガイドブックによると、2002年現在のムスティエの人口は625人とある。しかし人が住んだ歴史は古く、3万年前とされている。1440年以降はフランス国王による直轄地となり、焼物にとって大切な良質の土、水、燃料となる木の3つに恵まれていたために、陶器作りが根付いたともいわれている。しかし、どのようにしてこの地で焼物作りが始まったかは諸説あるそうで、13世紀にスペインの影響でマルセイユに最初の窯が築かれたことが文献にあり、その頃ムスティエでも陶器作りが始まったと記されている。
しかし、引き続く戦乱で乏しくなった国庫を守るため、ルイ14世によって贅沢禁止令が出されるとともに、中国から輸入された青磁の流行にのり、ムスティエでも染付けの技法が研究された。



 



1550年頃、イタリアからやってきた天才的陶芸家クレリシーが出現し、ファイアンスの基礎を作ることとなる。彼とその後継者たちにより、イタリアルネッサンスの画家アントニオ・テンペスタによる狩のシーンを真似た図柄を乳白地のうえに細密な染付けで描いた陶器類は、その最盛期を
迎える。この頃のムスティエのファイアンス陶器は、マルセイユをはじめとする近隣の町のどの陶器よりも優れていたといわれている。17世紀後半の3度にわたる出水により、急な岩山のきわにある村は壊滅的な打撃を受けるが、18世紀中頃には、経営に長けた2代目ピエール・クレリシーがパリに出店、活発なビジネスを展開。その図柄も多様にわたり、中国風風景画、紋章の図などが流行した時期もあった。フランス国王とそれに習う貴族たちは競ってファイアンスを注文し、富の象徴ともいわれる銀器のコレクションにかわって、数百枚の陶器の皿やカップ類をもつことに贅を尽くしたといわれている。




 


その後、マルセイユ生まれのジョセフ・オレリーなる画家により、洞窟の壁画からヒントを得た想像上の動物などを描いた図柄が流行ったり、明るいオレンジ色やオリーブ色一色でも描かれるようになった。さらに時代が遡ると、小花を散らして描くものと、単純化した花を中心に配したものの2種類がでまわるようになった。
このようにさまざまな変化を取り入れながら栄えてきたムスティエのファイアンス陶器であったが、大量生産が質の低下を招き、折しも、機械の導入によるイギリスからの安い磁器が輸入されるに至り、人々の好みは堅く焼かれた磁器に金を多量に使った意匠のものへと移っていった。さらに、国内政治の混乱や、世界的状況の変化にともない、
ムスティエのファイアンスは、1830年からの10年間で急速に衰退、最後の窯が1874年に閉じられてからは、全く忘れられた存在となってしまった。そして1929年に窯が再開され、渓谷を訪れる観光客の増えた町の土産品として現在
に至っている。

   



少し歴史が長くなったが、ムスティエでは現在、14工房が生産しており、そのなかで土産品でない上質のものを作っているのは3軒。工房を見せてもらったBONDIL a Moustiers社は、皿を型から作る作業を手で行っている唯一の工房である。ということは、その他の会社は機械的に成形をしているということだろう。切り立った崖を背景に佇むボンディル社の工房では、4、5人の職人さんが仕事をしていた。その工程は、木版の型から生地を起こし素焼きする。素焼きされた皿に、炭粉をガーゼでくるんだタンポを模様に沿って穴を空けた型紙の上からポンポンと叩いて下絵をつける。炭粉の下絵に従って色をつけたり、輪郭に色を挿したのち、再び窯に戻す。
チョークを溶かしたような粉っぽい蚰薬がやさしさのある白を生み、全くのフリーハンドではないけれども、手によって描かれた線や面の自然のゆらぎがこの陶器の特徴といえそうだ。全面に絵付けされたものは飾り皿として楽しそうだ。

   

プロバンス各地で訪れた城や貴族の館のコレクションには必ずこのファイアンスが並んでおり、当時の人気が忍ばれる。骨董市で見つけた18cm初めの小皿は、中心にジャガイモの花が一輪という簡素な模様がかえって日本の什器とも相性が良さそうで、お値段も手ごろであったので使ってみることにした。

訪れた町でたまたま見つけた工芸品の過去を辿って、この地の歴史を実感できるのは、中期滞在型旅行の楽しみ方でもあるようだ。

(2002/11/アヴィニヨンにて/よこやまゆうこ)


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