プロヴァンスに住んで、オリーヴオイルをよく使うようになった。料理にはもちろん、パンにつけて食べるさらさらした新鮮なオリーヴオイルの香りは癖になる。南仏便りその7は、グルメinプロヴァンス。
地中海気候のプロヴァンスはオリーヴの栽培地としても知られている。起伏に富んだ地形のなだらかな斜面は、ぶどう畑でなければオリーヴ畑だ。整然と縦横一列に並んで植えられたオリーヴの木はよく手入れされ、みっしりと茂った細い銀色の葉をプロヴァンスの強い太陽に光らせている。
スーパーマーケットでは3メートルくらいの棚がびっしり各種オリーヴオイルで埋められ、選ぶのに一苦労だ。フリーマーケットには、野菜農家に混じって、かならず蜂蜜屋とオリーヴ屋が並ぶ。オリーヴオイルはイタリアの専売特許にあらず。フランスならではのオリーヴオイルについて、すこし勉強してみた。本(The
Little Book of Olive Oil/ Nicolas de Barry/ Flammarion)の受け売りだけれど、その歴史から少し。
ギリシャの神々に愛されたオリーヴ
小アジア地方で12000年前からオリーヴオイルが使われていたことがわかっている。その後、シリア、ギリシャを経てクレタにもたらされたが、6000年間ほどは自生のままであった。6000年BCとされる最古のオイル壷がジェリコから発掘されている。古代エジプトでは、もっぱら化粧、医療、灯り用、宗教儀式のためなどに用いられたことが分っているが、当時のエジプト人の食卓では繁用されなかったらしい。1600年BC、フェニキア人によりギリシャと地中海沿岸全域で栽培されるようにり、現在のフランス地域にもたらされたのは600年BC、マルセイユの港からといわれている。その後、アラブ人侵攻の時期は栽培が中断されたが、十字軍が起こると共に今でいう流通業に長けていたヴェニスの商人によって取り引きされるようになった。スペインとポルトガルの征服者たちは、さらにこれを大西洋沿岸、すなわちアルゼンチン、メキシコ、カリフォルニアへと広げていった。最近では南アフリカやオーストラリアでの栽培も成功している。
神話の中では、アッティカの所有権を巡る争いで、ゼウス神は、人類にとって最も有益なものを1つあげよ、と問い、ポセイドンは馬、アテナはオリーヴの木と答えた。神々は審議の上アテナに勝利を与えた。現在のギリシャ人の消費量は、一人年間5ギャロン(約19リットル)という。我が家などは、年間数本のボトルで間に合っているような気がする。
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