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工房探訪その2「富田染工芸を訪ねる」」





『布づくし・展 日本の布200選』に出展してくださった作り手を訪ねるシリーズ第2弾は、小紋や更紗などの染めの着尺を作っている東京の老舗、富田染工芸です。今回、勉強したのは、捺染の技法と、着物の流通の入口あたりのこと。いずれも奥が深そうです。

富田 篤さんの祖先が京都から浅草の馬車道に移りすんだのは、今から130年前、明治初頭のことです。当時、世界一の人口をもっていた江戸の町では、着物を着ない人はいなかったわけですから、大層な量の着物が必要であったはず。当時、染めの技術をもった職人が、全国を移動しながら仕事をする"わたり職人"と呼ばれる仕事人たちがいて、富田さんの祖先もわたり職人でした。
神田川の清流を求めて早稲田に移転してから90年、富田さんが五代目です。そして、時は流れ、今や、東京新宿の地場産業、伝統ある染色工芸も風前の灯火。次々と問屋が消え、富田染工芸も生き残りをかけて、新しいもの作り、新しい販売方法を試みているということです。

 

 



富田染工芸の強みは、12万種にもなるという、明治時代からの型紙を保有していること。柿渋を塗り重ねた伊勢型紙を細密に彫ったあの型紙です。通路の両脇にはぎっしりと型紙の箱が積み置かれ、その中から、時勢にあうものを選び、組み合わせながら作り出すオリジナルは毎年最低でも100柄。一点ものを好む"お誂え"のお客様が、自ら柄を選ばれることも多いとか。そして、1年間に染める着尺は4〜5000反ほど。最近では、これらの反物は東京だけでなく、日本各地の小売店に直接卸すことが増えているそうです。昔は3段階もの問屋が機能していたけれど、今や、確実に新しい流通形態が確立しつつあるようです。
そして、恐ろしいことも聞きました。今や、安価な着物は、中国製の絹糸で、中国で織られたり染められたりして、ベトナムで仕立てられて日本に入ってくるという。これが悪いわけでは全くないのだけれど、じゃ、"着物文化を廃れさせてはいけない!"と言っても、日本から腕のいい職人さんが消えてゆくのは目に見えていますよね。一方、今回の展覧会に参加して下さったような、糸を紡ぐところから、染め、織りのすべてを一人でやっている作り手もいらっしゃいます。着物の二極化、そんな文字がちらちらします。

 

 



工房の様子を少し。捺染の現場を拝見して感動したのは、あの凛としたハンサムな美しさをもつ江戸染小紋や更紗柄の着尺の生い立ちは、けっこう過酷な工程のすえに生まれでてくるものであるということ。"しごかれ"(地色染め)たり、おがくずにまみれたり、100度の蒸気で30分も蒸されたり、激しい水圧の放射を浴びたりします。これらの試練によって、堅牢な染めと深みをもった発色が生まれるというわけです。蛇足ながら、人間もしごかれたり磨かれたりしないと輝かないのかな、、、

富田染工芸の、『東京染ものがたり博物館』(新宿区西早稲田3-6-14)を見学したい方は、03-3987-0701まで予約を。(月〜金、10:00am~12:00pm 13:00pm~16:00pm 工房は第3土曜日のみ公開)

(2004/3/10よこやまゆうこ)


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