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工房探訪第13弾『柿渋と漆を織る富永和雅さんご夫妻を訪ねて』


『布づくし・展』の作り手シリーズ・その13は、金沢の町を眼下に見晴らす工房で、柿渋による先染めと、漆を塗った糸を織る富永和雅さんご夫妻の「加賀天加織」をご紹介します。漆を塗った糸で織る漆織りでは、1990年に第一回金沢TOYP大賞優秀賞を受け、今まで成功した人のいない技に挑戦した試みが高く評価されました。

 
紺色の作務衣がお似合いの富永さん。実は、機械科を卒業してバスボディーメーカーに勤めていましたが、オイルショックを契に脱サラ。織りの世界に入ったきっかけは京都で染織をやっていた奥様の一洋(かずよ)さん。“師匠は妻”だそうです。とはいえ、京都で老舗染料店田中直が主宰する草木染特別研修で植物染料の特殊な染色法について学び、柿渋染を手がけるようになるまでは、もっぱら紬の着尺や帯を織っていました。

 
柿渋染と漆糸を始めたのは18年前。伝統工芸石川の特色を出したいということと、人のやっていないことをやりたいとの思いからだそうです。柿渋は工芸の中では非常に多く使われている素材ですが、富永さんが試みたのは、脇役の柿渋を主役に使うこと。自然素材の素晴らしさを充分に楽しんでいただけるよう、10回前後の染め重ねから得られる柿渋染でした。糸は麻や綿。染めては天日に干す作業は長い時間と労働が要求されます。柿渋液を含んだ糸は、強い日光にあたると反応して落ち着いた黒みを帯びてきます。この変化を糸全体に得るため、数時間かせの外側に陽をあてたら、今度はかせを裏返して内側を表にして再び干します。さらに、雨にあてることにより色に変化を与えます。また、冬場の金沢は大雪。物干棹にかけたかせが雪に埋まってしまうほどに積もります。でもこの雪がまた糸を鍛えてくれます。雪の照り返しは日照時間の少ない金沢では柿渋を染めるには好都合なのです。このように天候の巡り合わせと季節の変化を待ちながら、富永さんは、自分だけの柿渋の色を求めて4ヵ月から半年をかけます。好みの色がでるまで何度も何度も染めと乾燥を繰り返すのです。

 
快晴の日、強烈な太陽が降り注ぐ庭に干されていたかせは、触ってみるとマニラ麻のロープのようにごわごわ。整経作業は糸にしっかり水を含ませ、十分柔らかくしてから行います。作業中に糸で指や手を切ることがしばしばあり、ガムテープで保護しながら作業するそうです。この柿渋の糸は、かけられた機の木部にさえ擦り傷をつけるというのですから驚きです。苦労してわざわざ織りにくい糸を作っているようなものですが、この強烈な布は、使い手の側にも、時間をかけて使い込み、馴染ませてゆくことを愉しみとする精神を求めているようです。
次は、漆糸。春から秋にかけて、綿糸に漆を指で(もちろん手袋をして)均一に塗ってゆきます。漆は多すぎても少なすぎてもだめ。漆が糸に入り過ぎると糸は堅くなり曲らなくなってしまいます。指先の感覚とカンだけが頼り。そして、完全に乾燥すると折れてしまうので、タイミングを図って、やや柔らかさが残っている生乾きの時に織ります。漆糸を経糸として使うときは、他の糸と同時に整経することはできないので、漆糸だけを手機にセッティングし、その一本一本に重りの木管を結び付け、他の経糸との張りを均一にしなければなりません。このような整経のし方は、今まで聞いたことのないものでした。
3年程前、縄文遺跡から用途不明の漆を塗った糸玉が発見され、考古学者が富永さんの意見を求めに訪れたそうです。“漆は硬い”という先入観から、糸が巻取られて玉の状態であることへの不思議さに、どのように作られたのかを知りたくてのことだったということです。


 
柿渋染めの糸で織られた布製の座布団は、どうしても欲しいという人向けの一品です。一枚43000円という価格にもかかわらず、個展では必ず求める方がいるそうです。富永家で10年使っているものは、ごわごわ感が薄れ、落ち着いて黒ずんだ色合がとても美しいものでした。ざっくりした栗材の床のうえでこの座布団にどっかと座り、糊のきいた浴衣、備前焼きのカップできりきりに冷えたビール、北向きの庭を眺めながら、、。日本男児(女子も)の夢でしょうか、、、。

加賀天加織工房の連絡先:076-247-3201
   

(2004/10/よこやまゆうこ)


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