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『彩密友禅を極める山本遊幾さん』

鶴亀


2004年1月、新宿OZONEで開かれた『布づくし・展 日本の布200選』への出展者をお訪ねする工房探訪・その21は、彩密友禅という分野を作り出した山本遊幾さんです。山本さんは金沢で加賀友禅の修行を10年したのち、故郷の東京にもどり、緻密な日本画を絹に移したような独自の人物友禅を手がけています。
実家が呉服の老舗であったことから、幼いときから着物には親しみがあったのでしょう、高校卒業と同時に金沢の加賀友禅作家、故由水十久氏に弟子入りしました。加賀人物友禅の第一人者としてカリスマを感じさせる人物だったといいます。なぜ、京都でなく加賀だったのかといえば、京友禅は分業制で、部分的な作業の技を磨くことはできても、一人ですべての工程ができる作家になるには、分業制のない加賀友禅のほうがよいと考えからです。
生意気盛りの年頃、加えて、東京から田舎へきたような気持ちも強く、工房にいた20名ほどの弟子のなかでは異色。“はねっかえりモン”の“東京モン”は、どうやら相当浮いた存在の弟子であったようです。師から3度も破門を言い渡されたとか。そのつど、かばってくれたのは師の奥様。“この子には芽があるから”ととりなしてくれたそうです。
ターニングポイントが訪れたのは20歳のとき。やっと師から“着物でも作れ”と言ってもらうことができました。そして勇んで出展した初めての伝統工芸会石川支部展でしたが、応募数31点のうち、入選30点で、山本さんの作品だけが落選。ところが、その同じ作品で出展した全国新人染織展でみごと入選。がぜんやる気が出てきました。その後も入選を重ね、こうした経験もあって、加賀で人物友禅作家として独立するよりも、東京に戻って独立する道を選ぶことになりました。


覗く
 
 
戻った東京はバブルが弾ける前の好景気。黙っていても問屋から注文が入り、20代の若さで問屋企画の個展を開くなど、順風満帆のキャリアの始まりでした。東京では、年功序列や先輩後輩の遠慮もない実力勝負。よいもの、ユニークなものを作れば問屋がつき、全国展開の販路が開けます。人物友禅という、東京にも京都にもないテーマを追求し、緻密な絵が描けるプロの腕と20代のセンスが、顧客のこころを掴んだのでしょう。

モンテカルロ
 
グラナダ
    山本さんの工房は、マンションの一室ですが、グラフィックデザイナーのオフィスのような雰囲気です。コンピュータも多用します。絵はすべてディスクで管理されています。彼が若いひとに伝えたいことは、コンピュータを使っても使われてはいけないということ。ハイテクはローテクの後にいて、見える存在になってはいけないということです。
山本さんが見据える近未来のなかに、オリジナル図案の再利用があります。手描友禅の世界では、一つの図案がくり返し複数回使用されることはめったにありません。でも着物の図柄がアパレルの分野に生かせるかもしれない、と考えています。この柔軟な発想を生かしたいと思うアパレル業界のクリエーターとの出会いが待たれます。訪問した日には、1667年に始まったと言う世界最古の美術公募展Le Salonに出展するパネルの仕上げにかかっていました。日仏協会を通じて300名の日本人アーティストが出展する催しですが、伝統の染めからの参加はごく少数。このように、規定の枠組みを軽々と越えてゆく山本さんのフットワークのよさは、まだ46歳という若さとともに、大きな可能性を感じさせてくれました。
色気ある仕事をして、若い人に目標にされるような友禅作家でありたい、とジーパン姿で話してくれました。



源氏

    彩密友禅・遊禅工房の連絡先:03-5950-9226

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