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竹工芸家・藤原満喜さんのレポート

Mother's Basket 
藤原満喜作


2003年秋と2004年夏の2度にわたり、縄文社では、別府の竹工芸家藤原満喜さんに、インドとイギリスでのワークショップの講師をお願いしました。2003年度は、インド政府から、竹細工と漆塗りの技法を教える工芸家派遣の要請に応えて。技術のほかに出されたもう一つの条件は、英語で教えられる人というもの。技術をもっている職人/工芸士さんを見つけるのは難しいことではありませんが、通訳無しで教えられる人となると、とたんに困難な人選になってしまいます。捜査網に浮かび上がってきたのは、青年海外協力隊でフィリピンに滞在したことがあり、工芸展、クラフト展での入選のキャリアをもつ藤原満喜さんでした。
2004年度は、グレイトブリテン・ササガワ財団の助成事業として、イギリスの小さな町でのワークショップ。
これらの事業は、職人/工芸士さんたちが、手元に意識を集中する日々の生活を離れ、異国の空から自分の仕事を見直してみる、仕事のことを忘れるつかの間の時間になれば、と思うことと、相手方にとっては、アジアの国々の山間部の人々の収入源となる産業開発の一助になれば、また、手仕事を通じて私たちのことを理解して頂く機会になればと願いつつ行っています。また、アジアの国々に日本の工芸技術を教えると、3ヵ月後にはそっくりさんが1/20の価格で輸入され、地場産業を脅かすとの指摘もあり、問題を孕んでいないわけではないのですが、それぞれの国がその持ち味を充分発揮した独自の手仕事を生み出すことを期待したいと思います。 藤原さんからのレポートをご紹介します。

(2005/2 よこやまゆうこ)


竹盛篭 「集ひて」  藤原満喜作
 


藤原 満喜

明治末期、若き日の富本憲吉はイギリス留学中にインド旅行をしている。当時の旅は陸路から海路、また陸路と長い月日を要し、ゆっくりと流れる時間と共に世界を消化しているかのようである。自分の身体をつまみ上げ異文化の中にポンとほうり置く現代の旅とは格段の差があることだろう。 2003年秋、ワークショップをするために訪れたニューデリーの街は、オイルペイントのパレットのようで、原色の絵の具がせめぎ合っていた。しかもそのパレットは白い大理石で、太陽がじりじりと照りつける。ここからすべてが始まり、ここが終焉の地のようでもあった。



  2004年10月20日、私は大阪関西空港より、台風に追われるようにロンドンへ飛び立った。後に知ることだが、その台風は日本全土に甚大な被害を及ぼし、また復旧ままならないうちに中越地方にかってない大地震が襲った。わずか一週間におきた惨事だった。
私は12時間のフライトの後、ロンドン、ヒースロー空港に到着。イギリスでのコーディネーター、ティンギー氏の出迎えを受け、彼の車で4時間ほどかけてヘリフォード ヘイオンウェーにたどり着く。ここでもまたも雨、夜には風が出て嵐のような天候となった。
10月22日、初日のワークショップは彼の家の近くの教会の集会場で行われた。参加者は、彼と彼の姉の友人たち、近くに住む陶芸家と木工職人の娘など、イギリス南西部から駆けつけてくれた柳細工の女性など、総勢12名である。
午前11時よりティンギー氏のスライドによる日本の竹文化の説明、造園から竹の加工まで実に詳しい。澱むところなく説明しきった。30分ほどの私のデモンストレーションを終え、午前の部を終了した。
ティンギー夫人手作りのランチをはさみ、いよいよワークショップの開始である。材料の竹ヒゴを配り、完成品の小さな竹篭を手に説明を始めると、皆の視線は集中し、私の不十分な英語の説明に対して誰もが前傾姿勢となって聞き取ろうとする。お互いの身体と心の重心が前に移動すると、ワークショップは成功である。
あっという間にその空間はエネルギーに満ち、参加者の目は輝き上気してきた。簡単にいかないところが、かえって達成感を得、終了する頃には不思議な連帯感が参加者同士に生まれる。フィリピンでもインドでも日本の公民館でも同じ光景である。

 
   
翌日はティンギー氏につきあい地域の産業文化祭に参加した。レストラン脇の狭い特設ステージは、少しばかり哀愁があって売れない演歌歌手と、今ひとつ当たらないマネージャーの地方巡業のようでまた楽しい。10人ほどの客の拍手がうれしく、ほとんど芸人ののりだ。
10月24日、2回目のワークショップはティンギー氏宅より1時間ほど走り、イングランドからウェールズに入った。こぎれいな公共のホールで、たまたま私たちの後に日本人夫婦のジャズコンサートがあるという。はからずも日本人フェアとなった。参加者15名、染織、柳細工、木工、工芸教師、デザイナーなど、皆のみこみが早く、予定より30分ほど早く終了した。
初日と全く同じ空気が会場を包み、誰もが満足した表情を浮かべた。作った篭を大事そうに抱え家路に向かう参加者の背を見ると、疲れが癒される思いがした。
荷物を早々にまとめ、洪水で水浸しになった牧草地を横目に帰路についた。軽い疲労感が心地よかった。ささやかな竹篭はイギリスの地で十分に説得力を持ち、30人ほどの参加者の心に届いたように思えた。ティンギィー氏の娘ハンナが二重になった大きな虹を指さした。雨男には最良のプレゼントだった。

ワークショップ全工程を終了しロンドンに移る。
ホテルの近くのスーパーに入ると、レジ係の女性がタガログ語で客と話していた。ワインとローストチキンを買い、店を出ると隣を歩いていた若い女性が突然裸になって走り出した。ドラッグ中毒のようだった。唖然としたまま、公園に入ろうとすると、子供同伴者のみ入園できる公園と言うことで断られてしまった。いろんな人びとが、いろんな思いで暮らしているイギリスである。
日本から持っていった私の数点の竹篭は、親馬鹿かもしれないが、イギリスの風土の中で何の違和感もなく存在しえたように思えた。30年近くしてきた竹の仕事、これから作りたい竹の仕事に対して、それでいいよと、背中を押してくれたようだった。
知り合いになったタクシーのドライバーに空港まで送ってもらう。友人と別れるような暖かい見送りだった。雨上がりの風が身体を包んだ。*


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