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嵯峨の自然を染め織る津田昭子さんを訪ねて


OZONEでの『布づくし・展 日本の布200選』には京都の作り手から多くの出展があり、さすがに間口の広さと奥行きの深さを秘めた京都伝統染織世界の底力を感じていました。いつになく遅い桜が満開を迎える京都への小旅行は、そんな京都のほんの入口に立つための旅でした。4名の染織りの作り手を紹介します。

     
 
 
    津田昭子さんは、日本茜で染めあげた無地の着尺を出品してくださいました。草木染をする人にとって日本茜は入手困難な素材の一つ。その日本茜が津田さんのお庭に自生していると伺い、どうしてもお訪ねしたくなったのでした。京都の西に位置する嵯峨一帯には、里山と呼べるような和やかな自然が残っています。津田さんのご自宅から山へ向って、明智光秀が本能寺討入りの前日山越えしたというつづら折れの道を走り、清和天皇が逃れたという水尾村落を越えると4、5枚の棚田が残る斜面にでます。ここに津田さんのご主人潤一郎氏のご実家の万延元年に建てられた家があります。道中、杉にまじって山桜、辛夷、梅、樒(しきみ)などの樹々が花をつけ、庭には桃、木瓜、雪柳、黄水仙、れんぎょう、沈丁花などがいっせいに乱れ咲いています。すでに水が満たされた数枚の棚田は花冷えの曇り空を映し、まだ鳴きなれない鶯が手の届くほど近くの枝で練習中。少し遠くに見える山桜の大木はまだ花をつけず、しだれ桜がやっと2、3の花を開いていました。訪れた津田夫妻に気づいた隣人がもってこられたのは、篭いっぱいみずみずしい椎茸。庭先からは山葵の葉と土筆が加わりました。昭子さんは“この桜もこの梅も、とてもいい色をくれるの”と愛おしそうに指さします。草木染めの材料の宝庫のような環境のなかで、自然のうつろいを布に移すことが津田さんのテーマです。
     
 
     
    津田さんが染め織りを始めたのは36歳のとき。自転車で通える距離に志村ふくみさんがいらっしゃいました。子供を育てながらの修行だったので6年もかかりましたが、その間、志村さんの『語りかける花』や『一色一生』の執筆のすぐ近くにいられたことは素晴らしいことだったとおっしゃいます。師とは近くの小倉山にご来光を仰いだり、山中へ植物を採りにいったり。そうした生活は、自然の偉大さに感動する毎日をもたらしてくれました。それまでは何となく見ていたものが、正に語りかけてくる自然の言葉を聞き分けられるようになったということでしょうか。明るい工房の窓からは美しい竹林が見えます。竹林の奏でる音、光、動きを表現した「竹の四季」と名づけた作品で、今春の第39回日本伝統工芸会染織展に初出品初入選を果しました。
     
 
 
     
    見せて頂いた作品は、どれも透明感のある優しい色あいに几帳面な絣模様。上質なふくよかさが漂います。京都人の好んで使う“はんなり”という言葉はこのような感じを言うのでしょうか。 「春を待つ」と名づけられた着物は、早春から春に移るころの空気感を表したもの。色は梅と藍の生葉染めです。「北嵯峨に5月来る」は、広沢付近の散策コースに残る水田に映える空の青や夕刻の茜色、山々の緑を心象風景として移したもの。夕焼けの空が水に映ったところを見たくて、夕飯の支度を中断して、自転車に跳び乗って走ったこともあるそうです。
“誰かのために織らせてもらうことが何よりも嬉しい。家族に支えられたおかげで作り続けてこられたことに感謝している”とおっしゃいます。一つ一つを大事にしながら作品作りに集中したい、と自然体でおっしゃる表情が印象的でした。これからも季節ごとの嵯峨の自然を染め織ったお仕事を拝見できそうです。
     
   
(2005/5 よこやまゆうこ)

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