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和染紅型の工房を継ぐ大箭秀次さんを訪ねて


2004年度のリビングデザインセンターOZONEでの『布づくし・展 日本の布200選』の出展者をお訪ねする工房探訪シリーズ・その34は、京都市右京区に工房をかまえる和染紅型の栗山工房代表ニ代目栗山吉三郎こと、大箭秀次さんをお訪ねしました。
紅型といえば沖縄染色の代表として、南国の太陽に映えるカラフルな型染めを思い浮かべます。その沖縄の紅型から京風の紅型を生み出したのが初代栗山吉三郎氏。彼は、昭和13年ごろ、五条坂に住んでいた陶芸家河井寛次郎と親交を深め、ともに沖縄ヘでかけては紅型の収集と研究を重ねました。いわゆる「民芸運動」が始まろうとしていたころです。絵ごころのあった吉三郎は、沖縄紅型に京友禅の柄いきをとりいれ、のちに和染紅型と名づけられる染めを確立してゆきました。

 
大箭さんが栗山工房に入って45年になります。19年前に初代が亡くなり、弟子であった大箭さんが後を継ぎました。よく売れた昭和30〜40年代、ピークを迎えた45年をすぎてから着物産業の中心室町は困難な時期を迎え、栗山工房も縮小を余儀なくされました。しかし今では京都の紅型を代表する存在として、先代のオリジナルに加え、新柄の開発にも熱心です。
大箭さんのお話で興味をひかれたのは、“情報が遠いことのメリット”との指摘です。販売は問屋を通して行い、お客様と接する機会はほとんどないそうですが、工房にいても現代の人に好まれる傾向は、よく売れている柄ゆきということから察しがつくというのです。“直接お客さまの要望を聞くようになると、そればかりを追うようになる。少し距離があるほうが自由度がある”とおっしゃいます。自由度とは、図案をおこしたり配色を考えるとき、個性が出せるということでもあるのでしょうか。
 
    また、工房を経営する立場から、問屋が入るということは、リスクの分散という利点があります。設備を維持し、15人の弟子をかかえ、生地の在庫に加え商品在庫をかかえることは、工房としてはリスクが大きすぎるのです。ここでは着物産業の流通システムが良く機能しているということでしょうか。
帯にする麻地はほぼ中国の麻布を使います。湖南省に何度も足を運び、望みの麻布が得られるまでくり返し指導してきたかいあって、満足のゆく製品が得られるようになりました。絹糸に関しては、中国産に加えブラジル産の絹糸が増えたそうです。これはちょっと驚きでしたが、最近、政府は絹の輸入制限を解除しました。というのも、すでに日本では養蚕農家が激減し、国内の生産者を保護する意味がなくなったのです。栗山工房では長浜や丹後地方で織られた着尺を中心に染めています。着物には材料の原産地表示は求められていないので、一般的には日本の糸、日本の布が使われているような印象を持ちますが、かしこい消費者であるためには、こうしたことも理解しておきたいところだと思いました。
 
 
 
和染型染の魅力を生むために肝要なことは、仕上がりの質を保つための工房での一貫制作、友禅の魅力を加味した流れのある柄いき、堅牢度を高めるために顔料に変えて染料を使う、化学糊ではなく米糊の使う、色は手挿し、といったことをきっちり守ってゆくといったことであると大箭さんは考えています。そして、見学者の受入れや染め体験、大学の実習場所として生徒を受け入れるなどの方針も、和染型染をもっともっと知ってもらいたいとの思いからです。
工房では、大箭さんの娘さんをはじめ、若い女性の姿が目立ちました。年期の入った腕をもつ職人さんと若い力、この両輪が大箭さんのディレクションのもと、栗山工房の未来を拓くように感じました。
    栗山工房の連絡先:075-861-4203
http://www.kuriyamakoubo.com
 


(2005/8 よこやまゆうこ)

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