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京繍の革新児、長艸敏明さんを訪ねて


染織の作り手を訪ねる工房探訪シリーズ、今回は京都市上京区、いわゆる西陣とよばれる一角に刺繍の工房を営む長艸敏明さんをお訪ねしました。
長艸さんとのおつき合いは、1989年、「伝統的工芸品国際化研究会」という全国の有志が集まってできた団体に参加して頂いたときに始まりました。
当時では目新しかったマオカラーのシャツで会合に現れる長艸さんは、産地の職人さんでもなく流通業の社長さんでもなく、一匹狼的な芸術家の雰囲気を漂わせていらっしゃいました。今回の取材で、家業の行方を決める変化がちょうど15年前に始まったと伺い、お目にかかったのが、長艸さんと妻純恵さんの織物の町西陣での闘いの幕開けの頃だったことを知りました。

 
    “闘い”というわけを、長艸さんは率直に説明して下さいました。それは、西陣という和装産業の一大王国を誇っていたシステムが内部から崩れだし、徐々に弱体化してゆく物語と重なります。それは、京都の町並みが崩れ、コンクリートのビルが建ち、終夜コンビニエンスストアが青い灯を煌々と点すようになった街の変化とも重なるようです。
刺繍という作業は、着物の生産過程のほぼ最後の工程として問屋さんや悉皆屋さんから手渡されます。昭和52年頃まで、長艸刺繍の職人たちは受けた仕事を粛々とこなしていました。けれども、着物が売れなくなるとともに、問屋には在庫が溜り、供給量が販売量の5倍といわれるまでの最悪の状況に。当然、支払いが遅れ、加工職にまで手形決済が求められるようになりました。この状況を冷静に見ていた長艸さんは、消費者に直接受注販売したい、と強く願うようになりました。これしか刺繍で生き延びる道はないと思ったからです。
 
    そこで新会社を作り、東京へ出向いて小さな小さな受注販売会を催すようになりました。西陣で生まれ育ち父の後を継いで仕事をしてきた長艸さんに、東京に知人友人がいるわけもありません。少しずつファンを獲得する地道な努力が続きました。そして出会った一人の年輩女性が、この冒険の正しかったことを証明してくれることになります。彼女はすぐに京都の工房へ足を運んでくれ、次々とお客さんを送り込んでくれたのです。“下代”と“上代”のあいだに流通が入らないぶんだけ、お客様にとって魅力的なお値段で買って頂くことができます。しかし、和装業界がこれに睨みを利かせないわけはありません。直接、間接に“いじめ”にあい、ノイローゼになりそうだったことも。これを切り抜けるには、長艸個人として名を出すしかない、と覚悟を決め、やがて無名の職人は能衣装や鬘帯(かずらおび)の作り手として雑誌に登場するようになりました。フランスからはエルメスの注文を受け、有名ファッションデザイナーからパリオートクチュールコレクションに大胆な刺繍を依頼されるなど話題を集めました。テレビにも出演しました。“いじめ”も徐々に少なくなり、5年前からは販売ルートに関するクレームもこなくなったのでした。二十歳でお嫁にきて、自身も刺繍作家としてたくさんの弟子を持つようになった妻との二人三脚だったからやってこられた、とおっしゃる長艸さん。絶妙のコンビです。
 
  伝統工芸は、いつもその時代の空気やスピリットを反映する意匠や色使いで人々にアピールしてきました。作り手が現代から未来への空気を先取りすることの大切さを長艸さんは強調します。そのためには、文化教養を吸収し、異業種の知人友人を作ることをいとわず、新しい発想や刺激を受けるように心がけています。
息子真吾くんは目下絵画に関心をもち、娘の賀奈子さんは、3年目を迎えたギャラリー貴了館を切りもりする企画外渉担当として心強い存在になりつつあります。“革新の京都”の作り手の行くえを、これからも見続けたいと思います。
   
    株式会社 繍司長艸の連絡先:075-415-8917
http://www.nagakusa.com
 


(2005/9 よこやまゆうこ)

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