津田さんが型染をするようになったお話を伺っていると、その環境や幼い頃から周囲に居た人たち、偶然の出合いや成りゆきなど、「斑猫」の後を追っているうちに、いつしかこの道に歩み込んだような印象を強く受けます。
お絵かき教室に通う絵の好きな女の子は、日本画をしていた大叔母の影響で東京芸大日本画科に。卒業後、何をしようかと思っているところに、紅型のおけいこをしていた母の手伝いで渋紙を彫るようになり、プロの型彫師たちに習う機会を得、いつしか友禅の先生のところにも出入りするようになり、学生時代の男友だちと結婚し美術史家の妻となり、人間国宝の彫金作家内藤四郎氏に可愛がられ本物に親しむ体験を積み、菅原 匠さんの藍染の講習会に出たら、いつの間にか菅原さんから本格的藍瓶が家に届き、庭の一角に埋まることになった、といった具合。良き師に恵まれ、その誰からも愛され、知識と手技と審美眼の3つともを理想的な形で自分の物にしていったように思われてなりません。そばにある幸運を無意識につかみ、吸収し、無理なく自分の力にしていったということでしょうか。
でも、偶然の幸運だけではなく、直感的に必要なものを探しだし、積極的に参加し、最後の一人に残るまで学び、と人並みはずれた努力家でもいらっしゃることも確かなようです。それを軽々とやっていらっしゃるところがお人柄とお見受けしました。 |