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『京の雅びを繍う稲垣慶美さん』


京刺繍の家「繍匠いながき」は、大叔母、母、そして稲垣慶美さんで3代目となります。伝統的に男性の仕事として引き継がれることが多い京繍(きょうぬい)の世界で、稲垣家では女性たちによって刺繍が主役の着物創りが守り育てられてきました。お客さまのイメージから閃いた色柄を選び、白生地から着物を創りあげる慶美さんのお仕事ぶりを、京都市中京区、壬生狂言で有名な壬生寺近くの工房で拝見しました。

 
 

京繍の世界には、振袖、留袖、帯、半襟、紋と、刺繍を施すものにより格付けのようなものがあるのだそうです。振袖に刺す人は半襟はしない、と区別されてきたとか。慶美さんのお母さまは、女性としては初めて「京の名工」として認定され、その際立った仕事ぶりが高く評価されました。三条で刺繍店をもち、もっぱら着物の刺繍を手がけていました。父親が早く亡くなったため、暮らしは母の手にかかっていたのです。幼い慶美さんは、早朝から母が“ぷすっ、ぷすっ”と絹に刺す針の音で目がさめたほど。そして中学校にあがるころから、日がな一日、刺繍台に顎をのせて、母の手元を眺めている少女でした。手を取って教えられたことはなく、見覚えで、細かな繍いの技を習得してしまいました。正面から見ていたため、左右の手の使い方が逆になってしまいました。頭の中で手の動きをシュミレーションしているうちに、しっかりと身体の中に入ってしまったのでしょう。今でもその癖は治らないそうです。

 

京繍に使われる糸の色数は500〜600色。配色いかんで、はんなり垢抜けたものにも、野暮ったくもなります。慶美さんの色への感覚の鋭さは、お母さまも一目置いていたほどで、娘に色合わせを頼むこともありました。今では、お客さまにお会いして、好みの色や嫌いな色を伺ったりはしますが、ほとんど一瞬でお誂えの着物の柄も色も決まっているといいます。つい自分好みの色を選びがちになるけれど、その“癖”がなくなり、嫌いな色がなくなったとき本当の配色ができる、と慶美さんは言います。友禅を活かし、繍いが全面にですぎることなく刺せるようになれば一人前。刺せるようになるのに5年ほど、プロとして仕事ができるのは10年ほどかかる技の世界です。弟子入りしてから32年目という大下明美さんは10代から『繍匠いながき』に入り、伝統工芸士にも認定されています。刺繍という工芸に必要な資質は、と問えば、綺麗好きかしら、と。整理整頓、つまり、頭のなかが片づいていること、とのこと。複雑な図柄を見たとき、すぐにどこから刺し始めるのかがわかることが大切と。集中力でも器用さでもない、ちょっと意外な答でした。

 

『繍匠いながき』の仕事のもう一つの注目点は、切り押え、金駒くくり、抱き駒、片駒といった技法を駆使した品の良い刺し上がりです。切り押えは、柄をびっしり刺し終えたうえに、12本からなる平糸から2本を針に通し、斜めに押さえてゆく技法です。刺した部分がもっこりと盛り上がる刺し方に対して、切り押えでは、布にぴたっと貼りついた仕上がりになり、長く着ても刺繍の部分が縒れてくることがありません。2本口の糸で押さえられた部分は、虫眼鏡で見なければわからないほどです。
成人式にと誂えられた桜花がちりばめられたお振袖は、5弁の花びらをぎっしり刺すのではなく、色が幽かにかすれぼやけて見えるよう、透かして刺されています。柔らかな風に舞う桜の軽やかさが表現された、慶美さんの工夫の一品です。黒打掛けはゴージャスの一言。構想3年半、取りかかって2年半かけて仕上げた力作。29個の花の丸は地模様のある織り絹のうえに、桜、楓、萩、椿、桐、橘、松、菖蒲、笹などの植物が円形にデザインされて刺されています。その色のグラデーションは見事としかいいようがありません。“刺繍は手間をかけるほど良くなる”との思いが、手のこんだ仕事に結実しています。

 

さて、ちょっと現実的なお話を少し。こんなに手間ひまかけた刺繍を施した着物を誂える、なんて特別な人しかできないこととの先入観がありましたが、どうやら、そうでもなさそう。その刺繍の量、技法などを工夫することで、付け下げ一着20〜40万円ですべてが仕上がるとのこと。予算をお知らせすれば、いかようにもして一番効果的な繍いを選び、予算内で仕上げて下さるそうです。敷居の高そうな『繍匠いながき』が、急に親しみやすいところに感じられました。作り手に直にお願いすることの利点である、世界で唯一つのものができること、染め直しなどをお願いできることに加えて、予算内で仕上がる、という嬉しいことまであることを知りました。

 

『繍匠(ぬいしょう)いながき』/アトリエけい子京繍教室
連絡先:京都市中京区壬生森町11-1
tel: 075-841-0668
e-mail: kyoto@inagaki-art.jp
URL:www.shinise.ne.jp
NHK文化センター京繍教室のお問合せ:URLから

    (2006/12 よこやまゆうこ)

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