京繍の世界には、振袖、留袖、帯、半襟、紋と、刺繍を施すものにより格付けのようなものがあるのだそうです。振袖に刺す人は半襟はしない、と区別されてきたとか。慶美さんのお母さまは、女性としては初めて「京の名工」として認定され、その際立った仕事ぶりが高く評価されました。三条で刺繍店をもち、もっぱら着物の刺繍を手がけていました。父親が早く亡くなったため、暮らしは母の手にかかっていたのです。幼い慶美さんは、早朝から母が“ぷすっ、ぷすっ”と絹に刺す針の音で目がさめたほど。そして中学校にあがるころから、日がな一日、刺繍台に顎をのせて、母の手元を眺めている少女でした。手を取って教えられたことはなく、見覚えで、細かな繍いの技を習得してしまいました。正面から見ていたため、左右の手の使い方が逆になってしまいました。頭の中で手の動きをシュミレーションしているうちに、しっかりと身体の中に入ってしまったのでしょう。今でもその癖は治らないそうです。 |