Home Feature Side Story Shopping About Us
 
prev.

 

『古典織物の復元を手がける中島洋一さんを訪ねて』

自宅の天井をくり抜いて木製ジャガード機を設置した工房から織り出されるのは古典織物を復元した裂(きれ)。主に、書画作品の保護と装飾のための表装裂(ひょうそうぎれ)として使われる絹織物です。古来、日本では書画と表具を一体のものとして鑑賞してきましたが、表装裂は単なる付属品ではなく、書画が装う着物のようなもの、と工房の主、中島洋一さんはおっしゃいます。古代裂の研究者として、また古典織物の復元の制作者として、中島さんの織りを伺いました。
 
織り人になっていなければ工業デザイナーか建築家になっていただろうという中島さんは、多摩美術大学で染織を専攻しました。テキスタイルに関心があったというよりも、織機という道具そのものへの関心から染織を選んだそうです。植物染料に興味を持ち、初めての個展は草木染手織紬でした。そのままゆけば、紬織作家になる道を歩み出されていました。ところが、ある時、文化財修理の仕事をされている方が持ち込んだ鎌倉時代の紐に出会います。
多色糸で複雑に織られている幅10mmほどの紐の構造に魅せられ、その解明にとりつかれてしまいました。かれこれ22年も前のことです。その後、文化財 修理の表装裂制作に携わるようになりました。
また、紐状の織物にはいろいろとありますが、ドシ織と呼ばれる唐組風の厚手の紐を復元したことを活かした帯締めの制作もしました。それには特定の文様を 織るためだけの構造をもった機を作る必要がありました。ここが普通の高機で着尺や帯を織るのと大きく異なる点です。
  中島さんの研究の中心である古代絹の研究では現行品種の他、野蚕や古代蚕品種について、繭一粒の重さ、繭糸量、生糸歩合、繭糸長、繭糸繊度などの計測と比較に始まり、古代絹のもつ微妙な経糸の太細のゆらぎが醸し出す風合いを再現するための実験を繰り返しました。
さらに、繭の保存方法の違いから生じる糸の光沢や強さなどについても実験を重ねました。これらはすべて、科学者のような好奇心、探究心、想像力、忍耐強さなどが要求される緻密な作業だったに違いありません。文様についても、文献を調べ、古代裂を拡大鏡で覗いては方眼紙に文様を写し取る作業を行います。古代裂では、文様の意味するところも重要です。例えば、唐草はその絡み合う様から無限の生命力を、どこまでも伸びようとする茎は長寿、延命への願いが込められていること。蓮と水禽の文様では、水禽は麦の害虫を食べてくれ、毎年同時期に飛来することから、豊作への願いが中国では好まれたこと。蜻蛉は常に前に向かって飛ぶ姿が勝虫として日本の武将に好まれましたが、それ以前に、中国では豊穣祈願の意味があったことなど、古来、裂を求める人々がその文様に込めた深い念いを知ることにもなりました。
    今、中島さんが向かっている機は、経糸4620本、織り幅76cm。36枚綜絖、420本の針と呼ばれる文様を織り出すための仕組みがセットされています。地組織を織るための上機(あげばた)と、紋組織を織るための伏機(ふせばた)により、紋紙屋さんが意匠紙と組織の指示書から起したパンチカードに420本の針が出入りし、望みの文様が織り出されます。
古代裂の復元には、糸色も重要な要素となります。糸は植物染料を使いますが、美しすぎる色では古びた感じが出せません。そこで、今回のくすんだ青色も、経糸は黄繭の四川三眠(中国の古代蚕品種)の生絹を藍染めし、 その上から矢車をかけて古色の趣を出す工夫をこらしました。裂の文様は、連珠の中にペガサスが2頭向き合っているものです。法隆寺や正倉院には騎士が馬に乗った狩猟紋はありますが、ペガサスだけの文様は非常に珍しいことに興味をひかれ、所有者に復元の許可を得て制作しています。7世紀頃の古代裂と思われます。
指定の文様の復元を依頼されることがある一方、ご自分で試してみたい文様や色合い、風合いを持つ裂を作る作業は、いくら時間をかけても十分ではないと思われるほど、丹念な作業とお見受けしました。
綾地綾文綾や平地綾文綾など、耳慣れない名前をもつジャガード織りの組織は、幾度説明を受けても素人にはなかなか腑に落ちないものです。織りの世界の奥深さ、複雑な織物を創り出してきた人々の叡智や工夫、想像力や努力にただただ感じ入るばかりです。
  見せていただいた裂の数々は、実に洗練された落ち着きのある雅な色ばかり。これらの裂は額装されたり、奥様のアドバイスも加わり、カクテルバッグ、古帛紗などに作り上げられます。 緻密で工学的な頭脳、繊細で品格ある色使いの感覚、そのうえ器用な指先をもつ人だけがかかわれる修復や復元の仕事は、世界中の美術館に納められた日本の書画、衣裳などの修復の仕事を担う人たちでもあります。中島さんは自らの経験と知恵を次世代に継ぐべく、大学で教えています。けれども、ご本人が熱望するのは制作三昧の日々。やりたいことの多さに対して、時間が限られていることが最大の悩みとのことですが、法隆寺裂、正倉院裂、名物裂、有職織物、能装束などにとどまらず、名称が残っていなくても現在まで残っている絹織物を後世に残すことを目的に、これからもお仕事は続きそうです。
    (2008/11 よこやまゆうこ)

(C)Copyright 2004 Jomon-sha Inc, All rights reserved.

このホームページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。

 

(C)Copyright 2000 Johmon-sha Inc, All rights reserved.