『紙布(しふ)』とは、読んで字のごとく、紙の布。和紙そのものを衣服に用いた『紙子(かみこ)』とは全く違うものです。楮で手漉きした2x3版(60cmx90cm)の和紙を2mm幅に切り、糸にし、草木で染め、高機で織ります。このすべての工程を一人でされる紙布の第一人者桜井貞子さんを、茨城県水戸市にお訪ねしました。
白石紙布が有名ですが、その材料となる白石和紙や紙布の歴史については、他のウエブサイトを参考にしていただくとして、ここでは、48歳で白石紙布に出会い、以来30余年間、紙布の研究と創作に取り組んでいらっしゃる桜井さんの情熱と技の、圧倒的迫力をお伝えしたいと思います。
紙布の出来は和紙で決ります。桜井さんが、和紙の漉き手とああでもないこうでもないの格闘のすえに辿り着いたのが、那須楮100%で漉く菊池正気さんと息子大輔さんの紙。手漉き和紙が布になるまでの工程を、大まかに記します。
まず、4枚一組の和紙を屏風畳みし、特製の定規を当てながら、2mm幅に切ります。桜井さんの手は、いとも簡単そうにスッスッとカッターを上下させますが、定規を正確に2mm巾にずらしてゆくのはかなりの集中力とコントロールが必要。因に、着尺一反に使う緯糸は、2x3版の和紙40枚分。2mm幅で10000メートル必要です。
思いの紙布に仕上がるかどうかは、次の「揉み」作業で決ります。使い古したタオル2枚を湿らせ、間に裁断した和紙を挟んで一晩寝かせます。師もなくゼロから模索の作業、試行錯誤のすえ、和紙をどの程度濡らすかのコツを会得。とはいえ、天候や和紙の質、枚数などにより一様にはゆきません。
揉む作業は、平たい石の上で行います。桜井さんは説明しながら、素早い動きで紙を丸めてコロコロさせたり広げてさばいたり。ふと気づくと、2mm巾が一本一本均一に丸い紐状なっているのです。まるで手品のよう。次は「績(う)む」。切り残されてつながった部分を離し、つなぎ目を指先で縒りながら一本の糸にしてゆきます。そして、その糸を糸車で「撚り」、撚られた糸は篠竹に巻きとられます。これを10秒ほど熱湯で湯通しして脱水機にかけ、綛(かせ)あげして乾燥。この段階までくると、糸は水につけてももう紙に戻ることはありません。この糸を藍や、紅、黄などに植物で染めます。織りあげられた紙布は、洗濯機で洗っても、溶けもちぎれもしない丈夫な布になっています。
桜井さんの長年にわたる紙布復元・創作は、“このままでは白石紙布は消滅してしまう。あなたがやりなさい”という夫の一言と、その後の全面的な協力があっての道のりでした。わずかに残る文献から技法を研究し、手漉き和紙の職人さんや研究者たちとの交流、白石藩藩主の子孫の手元に残る古い紙布を参考にしながらの復元と、孤独で困難な作業が続きました。失敗して捨てられた和紙はどれほどの量になったことか、と振り返る桜井さん。経済的には報われない時期もあったと話されます。それでも研究を続け、上質の紙布をめざしてきた桜井さんの情熱には、ただただ頭が下がります。
その熱意のわけはと問うと、“和紙をいじるのが好き、糸が好き”と拍子抜けするほどシンプルなお答。手漉き和紙という素材そのものが、大きな支えとなっていたということでしょうか。
白石紙布の研究家片倉信光氏の持論は、“紙布は使い込んで完成品”。耐久力テストのために4年間、紙漉き作業の時に毎日のように菊池さんに着用してもらったシャツを見た片倉氏から、“これなら昔のものと全く変わりません”と言われたときは、たいそう嬉しかったとおっしゃいます。
桜井さんが10年着続けているというブラウスは、絹でも麻でも木綿でもない独特の風合いで、軽くやさしく身に添うような手触りでした。
経糸に絹糸、綿糸、麻糸を用いたものをそれぞれ絹紙布、綿紙布、麻紙布と呼びます。経糸緯糸ともに和紙の糸を用いた諸紙布(もろじふ)は、紙布のなかでも最高級品とされます。桜井さんが好んで作るのは諸紙布の風通絣。まさに、日本の手しごとです。着物好きのひとにとって、紙布の帯はぜひ一本は持ちたいもの、布好きのひとにとっても、本物の紙布を手に取って触れたら最後、どうしても身につけたいと思ってしまう、不思議な魅力を秘めた布であることを納得しました。
最後に、桜井さんは、作れなくなるまで紙布を作りつづけたい、と仰ってくださいました。確かな仕事をしつづけてきた方の、たゆみない姿勢を感じました。
(2011/2 よこやまゆうこ)
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