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<その8>UnalaskaとDutch Harbor散策

アリューシャン列島の東端までやってきた。重く暗い空と海、いかにも最果てという感じ。今朝の気温9.9℃、湿度89.3%。日没は11時前。
ウナラスカの町の寒々とした海岸添いに建つロシア正教教会は、雪や風に鄙びながらも、美しい姿で海に臨んでいる。19世紀末、ロシアの華やかな文化を離れ、この地に布教に赴いた僧侶たちのこころと暮しを忍ばせる墓が印象的だ。ここの女性が、今も礼拝が行われ子供たちが訪れ、賛美歌はいつもアカペラと話してくれた。
アリューシャン・ミュージアムでは、先住民の暮らしぶりがよく紹介されていた。ロシア正教の僧侶たち、顔に刺青した女性とユニークなかぶり物の先住民、そして日本のゼロ戦機、とこの町の歴史を端的に描いている古い絵が掲げられていた。このサンバイザー状のキャップは素材もデザインも実にさまざま。骨や牙の彫物をつけ、ビーズや羽毛もついていてユニークだ。男たちの出自を示すのだろうか。アザラシやアシカの内蔵の皮をつないだパーカーは今でも作られているそう。水をはじくので、これを着てカヌーを操り猟りに出かけたとある。
アッツ、キスカ島などに近いダッチハーバーは、パールハーバー以外で唯一、アメリカが本土襲撃を受けたところなのだ。戦争歴史展示館では、日本/アメリカ兵士の所持品が展示され、山本五十六提督の写真も掲げられていた。先住民のアリュート族やユーピック族は強制移住させられたうえに、男たちはこぞって入隊した、と英雄扱いのような当時の新聞が束ねられていた。先住民にすれば迷惑千万な話であったろうことは容易に想像される。 一瞬の霧の晴れ間に、なだらかな丘を散歩。一面の緑からフレッシュな草花が香り、見晴らす海は茫茫と広がっている。70年前の軍事施設が朽ちるに任せて残っている。涙がでるような美しい風景だ。戦略なき作戦と一貫性を欠く日本海軍上層部の無能ぶりがアッツ島玉砕を招いたと歴史家は記すが、ふと、この度の原発事故発生時の政権の対応ぶりと共通点があるのでは、との思いがよぎる。アッツ島玉砕やキスカ島撤退の史話をもう一度読み直さねばと思った。
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    (2012/8 よこやまゆうこ)

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