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『上野昌人さんからの投稿』


投稿をお願いした京都在住の上野昌人さんは、ご自身をフリーランスのグラフィックデザイナー時々編集者と称されます。数年前に出会ったときは、(株)里文出版の編集者でいらして、創刊37年目を迎える古美術月刊誌『目の眼』にも関わっていらっしゃいました。工芸−骨董にも造詣深く、個人的にもお好きなよう。工芸の現実を直視した、ちょっと辛口のエッセーです。工芸のこれから進むべき方向への、ひとつの示唆が示されているように思います。

『消えゆく工芸、に未来はあるか?』

 残念ながら古美術・骨董に関してはやはり古いものが、良い場合が多いようである。もちろん何でも古ければ良いというものでもないが、例えば古備前の焼きものにしても、桃山時代のお茶に使えるような洗練された景色のあるものも勿論良いが、室町〜鎌倉と遡ると農業に使った種壷や摺鉢など素朴で野趣溢れる力強い造形に出会える。さらに平安末〜鎌倉初期という須恵器から備前に移行する時代の壷を観たことがある。平安らしい優美な肩のラインが印象的な壷で今でも眼に焼きついている。
 以前、某大学の先生が壷の話をなさっておられたが、壷は大切なものを入れておくためのものであったという。それがある時代には水であったり、種であったり、後にはお金であったり、お酒であったり、茶葉であったり、その時々で人々にとって大切なものを入れていた。それが今では壷に入れたいものなどなくなってしまい、大きめの甕などは傘立てに成り下がってしまっている。結局、使われなくなったものは鑑賞にしか使えないが、日本の住宅事情では壷を転がしておけるだけの余裕もなく、床の間と共に消え去ってしまったのが実情であろうか。壷が活躍できる場は一部の好事家を除いては、もはやお茶とお花の世界だけなのである。
 いずれにせよ使われないものは、消えてゆく運命であり、同時にその作る技術も消えてゆくのであろうか。蒔絵、象嵌、乾漆など漆の世界でもいろいろな技法があるが、漆が暮らしの舞台から姿を消しつつある今、その技術も漆とともに消えようとしている。だが一方で早すぎて消え行く運命にあったと思われるものもある。

 今日、ご紹介したいのはかつて飛騨地方で作られていた千巻(せんまき)漆器である。たまたま京都で千巻漆器を作られていた職人の末裔の方に出会い、製品を拝見する機会を得た。非常に軽く、見た目もカラフルで形もモダンな器である。北欧で作られているモノのようにも見えるので、何かしら交流でもあったのかと思いきや、戦後デンマークにも輸出もしていたそうだ。私はこの器を初めて観た時、何と今の時代にフィットしているかと思った。刳り貫きや轆轤引きではないので、無駄な木材が出ないところはとてもエコであるし軽い。しかも重ねられる。色もカラフルで美しく、形もモダンである。どうしてこれが廃れてしまったのか、今となっては末裔の方にお話を聞くしかない。
 孫の原山素子さんにお話をお聞きすると「元々春慶塗りの器を作っていた祖父の田中菊太郎が、映画の16ミリフィルムから閃いたと話しておりましたが、ちょうど大根の桂剥きのように桧の丸太を外側から機械で薄く剥きそれを2,3センチ巾のテープ状にして線材を作ります。彩色する時はこの段階で片面にだけ彩色します。その線材を作りたい器の大きさまで平たく固く巻き、金属の枠で仮止めし、木槌を使い木型に徐々に添わせてボウル状に形成します。接着のためホルマリンに漬けて、電気の窯で蒸して、という工程もあるのですがどの段階でそれを施していたのか正確に記憶していません。その後轆轤で滑らかにし塗装して完成です」と話してくださった。「戦前は仕上げは春慶塗で、戦中は軍の食器や洗面器などの軍需品として作られ、国内にあった三カ所の工場は終戦の頃まであったと聞いています。戦後は進駐軍に鮮やかな色のラッカー仕上げの食器を納めたり、アメリカやデンマークに輸出していたそうです。その後は、食品衛生法に従った淡い色の食器を作っていたと聞いています」という歴史もお聞きした。一時期は高山の工芸品の代表とも云われていたそうであるが、後を継いだ叔父さんから千巻を理解して下さる方に渡り、そのままの体制で続いていたが材料も入手し難くなり、職人の後継者もいなくなり幕を閉じた。誰かこの技術を継承してもらえないものかと思う。もちろん材料の木材の調達、着色の方法などクリアにしなければいけない問題もあるので簡単には云えないが。千巻漆器は手仕事ではないし、いわゆるクラフトに属するモノだとは思う。しかしここには新しい工芸を考えるヒントがあるのではないだろうか。

 このままでは器は100円ショップの製品に取って変わられる時代がくるかもしれない。それは文明であるかもしれないが、そこに文化は無い。その意味でも伝統的な漆の技術を守ることも大切ではあるが、これからの時代に合った新しい可能性を探る必要性があるだろう。仏像に使われた乾漆という技法を使って器を作っておられる方も出てきているが、やはり工芸の本質は使うモノであることだ。表現にばかり固執してしまうと用を見失う。その使うモノをとことん追求した結果、美しいものを残してきたのが日本人なのだ。決して美しいものを作ろうとしてきたわけではない、千巻漆器を観てつくづくそう思うのだ。
    (2013/3 よこやまゆうこ)

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