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『旅行記 その2 HuahineフアヒネからBora Boraボラボラへ』

木製スクールバスに乗ってフアヒネ島を回ってみた。村の博物館とも言うべき高床式小屋には、一応、古い写真や、島のジオラマ、狩猟の道具類、貝類など、これしかないので、、、という雰囲気で並べられている。若い女性が二人、木の器に入れた二種類の草を潰している。汁をレモンなどと混ぜて飲むと不妊治療になるのだという。因に、子供の数は2、3人は少ない、4、5人が普通、6、7人という家族も稀ではない、と。フランスの人口増加対策で支給される補助金で、子供が5、6人もいれば、それなりに暮らしてゆけるのではと推測する。決して豊かそうではないけれど、大人も子供も、満足している風情が感じられるのはそんな事情もあるのだろうか。貧しいアジアの国で、哀しく険しい光を目に宿した子供たちに土産物を買ってくれと囲まれるのは居心地のよいことではないが、ここではそのようなことない。これも楽園の条件の一つかとも思う。
  静かなラグーンに向かって石を立てたり敷き詰めた遺跡は、昔の神殿といわれるが、すべてはキリスト教が入っていたとき壊され、神話に基づいた踊りなども禁止されたという。20分ほどジャングル道を登ったところにも巨大なバニヤンの樹のもとに神殿跡があった。
観光するべきところとて実際何もないのだが、無理矢理その一つと言って、バニラのプランテーションに行った。良質のバニラは産物の一つになっているが、プランテーションのイメージとはほど遠い。バニラの元の植物を考えてみたことはなかったので、初めて見る植物だった。もう一つの目玉は、青い目をもつ巨大鰻。浅い川に子供が餌を投げ入れるといっせいに穴から出て巨体をくねらせ食いつく。実に体長1mはある。うつぼといった感じ。決して食べたくなるような鰻ではない。村人も食べないと言っていた。
夕暮れ近い浜では、大人も子供もそろって水辺に集い、伝統の踊りを見せてくれた。ハワイアンにもっと哀調を加えたメロディーだった。子供たちはシャイでありながらも人懐っこい笑みを浮かべてポーズをとってくれた。
  Bora Boraは観光が進んでいて、ラグーンにせり出して高級ホテルといわれる新婚さん御用達のバンガローが並ぶ。この辺りは、40cmくらいの浅瀬から5000mの深海までと、キャプテンの腕が試される海域。4.5万トンの船が珊瑚礁の浅瀬の合間を縫うように走る。薄いスカイブルーがいきなり深い碧に際立っているあたりが、絶壁になって落ちているところだろう。
夕刻からゴムボートで小さな無人島へ繰り出してのBBQ。温暖化による海面上昇で水没するといわれているツバルが遠くないが、このちっぽけな島もその時は同じ運命だろう。
重い雲の切れ目からオリオンが輝いて見えた。南半球では星座が逆転して見えるが、頭では判るけれど何だか奇妙。この夜はあいにくの雲に隠れて南十字星は見ることができなかった。
  翌日は4Wでオフロードに参加。雨期のため泥の轍が深く落ち込んだ山道を壊れたジェットコースターのように走る。山の中に第二次世界大戦で設置された大砲が正反対のラグーンに向いて二基。日本軍に向けられた大砲だ。終戦後は1977年までこの島自体が水も電気もなく見捨てられたように放りだされていたというから酷い話だ。現地の娘とのあいの子だけを残してアメリカ兵は引き上げた、と年配のガイドは話す。楽園にも戦争の影は宿っている。
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(2014/4 よこやまゆうこ)

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