9ノットというゆっくりのスピードで二日間かけてボラボラ島からクック島へ。最上階のデッキから見ると360度水平線。ポリネシアを何度もカヌーで航海しているというピットマン氏の講義があった。星と太陽と月と海のうねりと渡り鳥の飛ぶ形だけを頼りにいっさいの文明の器機を使わず昔の人と同じように航海するのだそう。
キャプテン・クックことジェームス・クックがこの島を見つけたとされているが、3回目の航海で、村人たちとのつまらぬ喧嘩から刺されて死亡。1779年のこと。「これまでの誰よりも遠くへ、それどころか、人間が行ける果てまで私は行きたい」は彼の言葉。押さえきれぬ冒険心と好奇心にかられ、オーストラリア、ニュージーランド一帯を探索し、英国に多くの益をもたらした人物としてその名を留めているが、その死に方はあまりにあっけない。
クック諸島は15の島々からなり、総人口20000人余り。ニュージーランドとの自由連合制にある英語圏。日本政府がクック諸島を国と承認したのは2011年で、実務レベルの外交が始まったばかり。
まず碇泊したのはAitsutakiアイツタキ島。この日のガイドは40年間教師をして引退した男性で、弟はクック島の現首相とか。のどかでこれといって問題のなさそうな島の議会の、最大の問題は何かと問えば、人口減少に伴い議員数削減を計るも、やめようとしない議員が多くて困るとの返事。やれやれ、、という感じか。島にあるのは高校までで、大学はニュージーランドなど外に出るため、優秀な若者が島に戻らなくなってしまうのも悩み。病院は島に一つ、37才のフィージー人の女性医師が単身赴任ですべてを一人で診ている。現在の最高長寿は102才。因に、ここでは家族が亡くなると、自宅の前庭に土葬にする習慣が今でも好まれているという。ん〜〜、引っ越しする時はどうするのだろう、、、。
首都があるのはRarotongaラロトンガ島。港周辺はさすがに首都だけあって、何軒かの店が並びレストランもちらほら。島は一時間のドライブで一周できる。初めて農業らしき作業の様子が見られた。タロ芋の苗を植えたり、ココナツが大きく育つよう摘花したり、ドラゴンフルーツも栽培されている。とはいえ、至る所にバナナは鈴なりだし、パンの木には子供の頭ほどの実が生り、タピオカやパイナップルなど取り放題。山羊は何処でも草を食んでいたがミルクはとらない、もっぱら特別な機会のごちそうのため。なぜ搾乳しないかと問えば、めんどうくさいことはしないね、と。
キリスト教の宗派が入り乱れてミッショナリーに入ってきたこともわかる。カトリックとプロテスタント、その中もロンドン伝導協会、モルモン派、メソディスト、セブンデーアドヴァンティストなどなどなど。19世紀半ばまで人肉を食べるカニバリズムの習慣があり、宣教師が犠牲になった例も記されている。ヨーロッパから遥かに遠く、島々の行き来もままならず、人食いの習慣もあり、人口も少ないところに競い合うように布教に明け暮れたところに、当時のヨーロッパキリスト教の不思議があるようだ。このミッショナリーの加熱ぶりを称してガイド氏曰く、“ここは楽園だから、みんな来たがるのさ”。
ラロトンガは白い砂浜にエメラルドグリーンの遠浅が遥か沖まで続いている。ハワイや地中海あたりの洗練されたリゾート開発もなく、素朴なままの浜辺を楽しみたい向きにはうってつけだ。今や、何もないことを楽園というのが的を射ているのかもしれない。地元レストランでランチをとりながら、ここからオリンピック選手が出るとしたら、ウエイトリフティングとか砲丸投げかな、とふと思った。
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(2014/4 よこやまゆうこ)
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