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『シリーズ『さりげない風景』その2高木信治』


※写真をクリックすると拡大します

能登半島のさりげない風景をご紹介するエッセー シリーズその2は、珍しい滝の姿です。著者のイラストやスケッチもご覧下さい。

高木信治
昭和17年輪島市生まれ。地元材や漆を使った店舗、住宅、インテリアを多く手掛ける。湯宿「さか本」:珠洲市、「塗師の家」大改修工事:輪島市、「瞑想の館」:富山県利賀村、昆布屋「しら井」:七尾市及び金沢市、和ろうそくの店「高沢商店」:七尾市、などの建築、インテリア設計に携わる。輪島市文化財保護審議会委員、NPO法人石川県茅葺文化研究会理事

翻訳者 ビル・ティンギー
ロンドンのDavid Hicks勤務の後、1976年来日。東京芸術大学にて建築史で修士取得。写真家、デザイナー、著者、翻訳家として日本で仕事を続け、2000年英国へ帰国。漆、木工をはじめ、日本の伝統工芸全般に詳しい。

 
間垣の里の桶滝
日本海の荒波が海岸の黒い岩々や岩礁に噛みつくように打ち寄せ、くだけ散る白い泡は、生きもののようにたけり狂う。そんな光景を右に見ながら、曲がりくねった海岸線を輪島から西へ車で20分程行くと、間垣の里で有名な大沢町、さらに2km程で上大沢町がある。大沢町の手前の下り坂の途中で左手に「椀貸伝説」の看板が見えてくる。小さな「桶滝」の標識もある。この林道大沢線を少し走ると左手に、「桶滝」の看板と駐車場がある。車を降り樹々の間をくぐるように坂道を歩いて下ると、前方からドドーッという滝の音が聞えてくる。「桶滝」だ。まるでまさに桶の底が抜けたようにして、岩窟の天井にポッカリ空いた穴から大量の水が流れ落ちている。このような形の滝は全国的にみても珍しく、石川県の文化財にもなっている。滝に向って左手に小さな祠があり、不動尊が祀られている。戦時中、女たちは戦地の夫や息子の無事を祈りに通ったという。この滝のまわりはケヤキ、エノキ、クリ、クルミ等の大樹がうっそうとして生い茂り、藤がからまり、戦前までは滝のほんの上のみ空が見えるほどで、子供たちにとってはとても暗くて恐い場所だったといわれている。この「桶滝」の上流には双竜の滝など、さらに六つの滝があるが、訪れるのは難しい。また、上流7〜800mには「こもり穴」という洞窟があり、平家の落武者が住んでいたとか。この地域には椀貸伝説や炭焼きや木こりをしていた長太と老ムジナの話も伝えられている。
 
  江戸の頃、前田斉泰(前田家13代当主)が能登巡見の折りにこの地にも立ち寄ったそうであるが、戦後、吟行に来た小松砂丘という著名な俳人を輪島の俳人が、陸路が険しいのでおおしき大敷(漁方の一つ)の船に乗せて大沢に招き、この「桶滝」に案内したこともあったと聞く。
冬期、荒れる日本海を渡って来る北西の風は目も口も開かないほどだと地元の人々は言う。その強い風から町の暮らしを守るために、人々は近くの山からニガタケを伐り、間垣をメンテナンスしてきた。
  大沢にはかつて、あらかた祖型ハツリ師が多くいて、輪島の椀木地生産を支えていたのであるが、決して楽な仕事ではなかった。両足でケヤキ材を挟み、器用に廻しながらなかぐり中掘チョンノという道具で中をしゃくり、椀木地ロクロ前のあらかた祖型をつくるのであるが、カマスに入れて船で輪島に運ばれた。海岸に沿ってバス道ができたのは昭和36年で、それ以前は人々は輪島へは木造船で行くか、細い山道を徒歩で輪島に出たのである。そうして人々は厳しい自然と共生しながら、つつましやかな暮らしを守ってきたのであった。 能登は国連食糧農業機関(FAO)が認定する世界農業遺産(GIAHS)に認定された。この大沢・上大沢の人々の里山里海のくらしと共にある風景は、後世に残すべき文化的景観として、文化庁の調査対象地になっている。*
    (2014/7 よこやまゆうこ)

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