能登半島の知られざる景色、失われ行く歴史的建造物などを、地元の建築家・高木信治氏が綴ったエッセイをシリーズで紹介しています。
日本海を左に見ながら、沖合いに七ツ島が浮かぶ国道249号線を輪島から東に向かってしばらく行くと、棚田で知られる「千枚田」が見えてくる。やがて御神乗太鼓で有名な名舟町に入る。ここまで来ると白岬の白い岩壁がはっきりと見えてくる。それまでの海岸線の景色は、海の色、山の色、四季おりおり変化に富んでいて飽きることがない。そして曲がりくねった道の右カーブに差し掛かると、日本海とともに右前方に白い岬が視野に入ってくるのだ。それは私にとって子供の頃からずっと変わらない大好きな原風景の一つである。能登は平地が少なく、緑の山々が急に日本海に落ち込むような地形が多いのであるが、ここ「白岬」は白い地層が垂直に切り取られたような岩壁で、植物が繁茂するのを厳しくこばんでいるかのようである。しかしそれ故に、上縁に緑を載せ、日本海に突き出たこの白い岬はさりげなくも何となくエキゾチックにも感じられる印象的な景観となっているのである。
高校生の頃、図書室で見た美術書の中で、侵食された海岸の絵を見たときにこの白岬の岩壁を思い出し、とても親しみを覚えたのであった。フランスの画家、クールベの『エトルタの崖、嵐のあと』や、印象派のモネの絵などである。この断崖は日本海に突出した岬の西側が海流と風雪に侵食されたものであるが、東側は曽々木へと続く砂浜となっており、小さな舟小屋もまだ少し残っていて、ゆったりとした景観となっている。「大川の浜」といわれているこの辺は、昔はずっと塩田だったそうである。この白岬の先端にはぽっかりと穴が開き、そこから陸側に向かって洞窟が奥深くまで続いている。「義経の舟隠し」とも呼ばれていて、中はたくさんの蝙蝠の巣となっている。この洞窟があまりにも奥深いためか、いくつかの伝説も残っている。その一つは、遥か離れた山手の柳田村の五十里の池に続いていてその池にイカが上がった・・・とか、逆に池から流された杓文字(しゃもじ)が洞窟にあった・・・とか。地域に伝わる昔語りはゆったりとした風景とともに、時空を超えてわたしたちをロマンの世界に誘ってくれるのである。しかし、この白岬の上の松林も松喰虫の被害を受けて松の木はずっと減ってしまっている。知らず知らずの間に能登の自然も人々の暮らしも大きく変化している。*
高木信治氏による『さりげない風景』はビル・ティンギー氏の翻訳で英語版でもアップしています。
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(2014/8 よこやまゆうこ)
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