能登半島の知られざる景色、失われゆく歴史的建造物などを、地元の建築家・高木信治氏が綴ったエッセイをシリーズで紹介しています。
私は輪島の朝市通りに住んでいるが、子供の頃より日本海の四季おりおりの表情を見て育った。半島の外浦は荒々しく厳しいイメージであるが、内浦に行くとやはりその風景は静かで、海辺の家々のたたずまいもどことなくのんびりした感じがする。内浦の海沿いの道は曲がりくねっていて、時々小さな集落に入ると道端にはときおり老人達が集まっているが、子供たちの姿は見えない。十数年前、仏教研究家であり詩人でもある英人のマルコム・リッチー氏が奥さんと共に内浦の「曽良」に暮らしていたことがある。過疎の村の老人たちと親しく交わり、スコットランドに帰ってから「ヴィレッジ・ジャパン」を著した。高度成長の裏側で子供たちが帰ってこない村で生きる人間味あふれる老人たちを優しく描いている。数年後、夫妻が友人のドン夫妻と共に再度曽良を訪れ、空き寺の「千手院」で一夏を過ごしたことがあった。彼らは千手院の修理をし、夕刻には読経と打鐘が日課であった。彼らの撞く鐘の音は曽良の静かな風景の中に響き渡り、老人たちはお寺の方に向かって手を合わせていたという。
この辺の村々からは、富山の立山連峰がきれいに見える日があるという。春の頃は特に美しいそうであるが、翌日は必ずといっていいほど雨になるそうである。
この曽良の村にはかつて「子供寒修行」が250年も続いたそうである。しかしこの村も過疎となり少子化が進むと、平成13年にはとうとう中止されてしまった。この寒修行は12歳で「奉公」に出る前に、子供たちに社会の厳しさを知らせるために始まったという。
私はスコットランド、アラン島に住むマルコム・リッチイ夫妻を訪ねたことがある。島は能登島くらいの大きさであろうか、海岸線には防波堤はなく、自然の岩礁が続いている。牧草の緑が拡がり、時々見えてくる農家もまばらな風景は時間が止まったようにのどかである。リッチイ夫妻の友人ヘンリーさんのバグパイプ工房を訪ねた時、ヒッピーだった彼は“俺はお茶の合間に仕事をしているんだ”と言っていた。短い滞在ではあったが、この島には確かな時間が流れているように感じられた。そして村々を回るスクールバスの窓から見えた可愛いい子供たちの笑顔が忘れられない。*
高木信治氏による『さりげない風景』はビル・ティンギー氏の翻訳で英語版でもアップしています。
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(2014/9 よこやまゆうこ)
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