能登半島の知られざる景色、失われゆく歴史的建造物などを、地元の建築家・高木信治氏が綴ったエッセイをシリーズで紹介しています。高木氏のプロフィールは
シリーズその1
をご覧下さい。
金沢から輪島に向かい「のと里山海道」を下りて輪島に入り三井町渡合(どあい)の三叉路を右に折れると、南側に田が拡がる本江(ほんごう)の集落が見えてくる。さらに少し行くと、緑に囲まれた大幡神杉伊豆牟比咩神社(おおばたかむすぎいずむひめ)がある。この神社も以前は茅葺き屋根であった。三井地区は、石川県木に指定されている「档(アテ)」の産地として有名で、1993年頃には、三十数軒もあった茅屋根の家も、社会構造の変化と共に「結(ゆい)」の構造もなくなり、茅屋根もトタン葺きになったりヤナ替え(茅屋根を撤去、二階を増築して瓦屋根を葺く)等で、今では昔日の面影はほとんど見られなくなってしまった。かつては林業で財を成したダンナ様の大きな茅屋根の家々が、三井の美林を背に泰然として連なり豊かな景観を成していたのであったが、、、。
この大幡神社の鳥居をくぐると、一般的な狛犬が一対鎮座していて、社殿に近づくとさらに一対の奇妙な狛犬が見えてくる。「何だこれは!」と思わず言いたくなるような変った形相だ。沖縄のシーサーに近いかな。いやスフィンクス風では。いろいろと他の何かに当てはめようと想いをめぐらすが、何とも不思議な顔と姿で、つまるところ宇宙人が作ったのではないかと思いたくなるほどである。私は30数年前にこの狛犬を見てからというもの、狛犬に関心を持つようになり、どこかへ出かけても神社があるとかならずそこの狛犬をつぶさに見るのであるが、こんな変った狛犬は見たことがない。この三井地域には猿鬼伝説がある。そしてこの神社には猿鬼退治の副将軍・神杉姫(かむすぎひめ)が祀られていて、猿鬼伝説とは深いつながりがあり本殿の中には猿鬼伝説の絵馬が掛っている。この狛犬は伝説と関係があるのであろうか。三井の人たちにこの狛犬の由来を聞いても誰も分からない。資料も残ってないという。南方系だと言われているその姿や顔だちはユーモラスで愛きょうがある。しかしこの村の人たちは、どのような経緯でこの狛犬をつくったのだろう。保守的な村社会の中で、このような前衛的とも云える
モノ
を誰が彫ったのだろう。能登半島に流れついた異国の石工が、あたたかく受け入れてくれたた三井の人たちに対して彫った感謝の石碑だったのだろうか。想いはめぐる。
この三井町本江の大幡神社では、今も5月3日には「大幡郷社祭(おおはたごうじゃまつり)別名あいさつ祭り」があり、獅子舞が出る行事が長く受け継がれている。しかし本殿は茅葺屋根から瓦屋根になり立派に改修されたが、獅子舞を受継ぐ子供たちは少なくなってきている。この大幡神社の時代を超越したかのような狛犬は、今の日本や地方の流れをどのように見ているのだろうか。*
高木信治氏による『さりげない風景』はビル・ティンギー氏の翻訳で英語版でもアップしています。
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(2015/1 よこやまゆうこ)
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