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『塩安漆器工房に伝わる「輪島講」』
写真:太田拓実

輪島は能登半島の先端に位置し、明治〜昭和の交通の便を思えば、店を構えてお客さんを待つ、というビジネススタイルは考えにくく、品物を背負い日本各地に出向いて販売されました。軽量の漆器ならではの販売法ともいえそうです。

塩安眞一氏は「塩安漆器工房」の三代目当主。
初代政之蒸が始めた「輪島講」という販売方法を受け継いでいらっしゃいます。地縁社会が希薄になった当節、まだこうした販売方法が残っていることは瞠目すべきことではないでしょうか。もちろんそこには、祖父、父のたゆまぬ努力があったことは言わずもがなです。
塩安さんが文章を寄せて下さいました。

 
椀講とか輪島講とか呼ばれている伝統的な輪島塗の販売方法、今ではやっているのはうちだけになってしまいました。鳥取で現在5つの輪島講をやっています。
私の祖父が明治の後半に鳥取で始めてから、第二次大戦中を除いてず〜っと鳥取に行ってます。祖父は明治、大正、昭和の大戦前まで、父は祖父に連れられて戦前から行き始め、戦後は一人で行き、昭和55年からは私と父で15年位、あちこち輪島講を開いてもらいながら二人で回りました。長い時は2カ月鳥取に居たこともあります。
その後は、私一人のこともあったし、社員を連れて行ったこともありましたが、5年前から息子と行ってます。
現在の講の世話人さんの中には、子供のころに私の祖父が家に来ていたのをしっかり覚えている方もいらっしゃいます。下駄をその方のおじい様が買って下さったのだそうで、鼻緒を代えながらまだ使っていらっしゃるそうです。息子まで含めるとその方とは親子4代でお世話になっている事になります。凄いですよね!
こんな古い商売、そして大変な商売だけどありがたい商売、お客様と塩安との絶対的な信頼がないと成立しない商売です。これは絶対に大事にしなくてはなりません。お納めする輪島塗の品質は勿論ですが、人間的にもちゃんと付き合えなくては続きません。30代の若い講員もできてきました。まだまだ輪島講続けますよ!
 
現代なら、高額商品を購入するときローンを組むという手があります。でも、「講」の良いところは、代々にわたり気心の知れた仲間がいて、いっさいを取り仕切る世話役がいて、各人が好みの漆器コレクションを増やし、さらに、次世代へ漆を愛でる心、文化を受け継いでゆくことができるところです。実に “浮世離れ”しているがゆえに、羨ましいシステムとも云えそうです。
ネット販売も便利な手段ではありますが、こうした社会になった今こそ、安心と信頼関係に基づいた販売法は、もう一度見直して研究すれば、現代の「講」のかたちが見えてくるかもしれません。表紙の写真は、塩安工房製「漆塗りスピーカー」、こうした品を「講」で求める若い世代が、きっと近い将来でてくることでしょう。
    (2016/5 よこやまゆうこ)

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