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<番外編>作るから使うへのつなぎ手 その3萩原 薫の「銀花」な日々-3

『季刊「銀花」』第八号表紙と千代芳子さんお勧めの「五色生菓子」
<番外編>作るから使うへのつなぎ手 その3萩原 薫の「銀花」な日々-3
好評連載中、季刊「銀花」元編集長・萩原 薫さんによるシリーズ投稿第3弾をお届けします。
「千代芳子さんとお国菓子」

「銀花」のコンセプトについて、雑誌誕生前にかなり紆余曲折あったことを前回記したけれど、表紙もまた同様だった。初めは熟年女優の写真、やがて岡鹿之助画伯の作品、鷹の写真やニューヨークのビル群も登場した。しかし再々出発、正念場となった「季刊銀花」の表紙をどうするか。細井チーフは意中のデザイナーに断られたらしく、総勢4人の編集部はそれぞれ本気で思案し、私は建築設計が専門だった夫・萩原忠嘉にも相談した。そして彼が名を挙げたのが、杉浦康平さんだった。家にあった建築・デザイン誌「SD」や数冊の単行本を手に編集会議に臨み、結果、細井さんから「あなた、この人に会いに行ってよ」と命じられたのである。

杉浦さんとの初めての出会い、東京渋谷・事務所兼自宅でのそれを忘れない。静かで穏やかな声と表情で「女性誌の仕事はしない事にしている」と話す著名なデザイナー。「女性誌のつもりはなく、読者対象の性別も年齢も不問です」と私。タイトルの意味や、特集として取材が進行していた記事の内容なども、懸命に伝えたと思う。幾度か行き来の後、杉浦さんは表紙の仕事を引き受けてくれた。そして以降2010年春の『季刊「銀花」』第百六十一号終刊号まで40年を超えて、「表紙は内容の表出」という卓見のもとに、見事で独特な「季刊銀花」の顔を、生み出し続けてくれたのである。

前回紹介した秦 秀雄さんがそうであるように、雑誌の核となる執筆者を編集部は常に探していた。有名な人より「銀花」にふさわしく、新鮮な視点と深い洞察を読者に届けてくれるような筆者。そんな折に舞い込んだのが金沢在住の主婦で民俗研究家、千代(せんだい)芳子さんからの手紙だった。暮らしの中で大切にしたい習俗や習慣を尋ね歩いているという人は、「お国菓子」を紹介していた。ちょうど第八号で「日本の菓子」という特集を準備していた私は、細井さんに相談、金沢まで出かけて行ったのである。

<番外編>作るから使うへのつなぎ手 その3萩原 薫の「銀花」な日々-3


『季刊「銀花」第五十五号表紙と、七十七号特集「かくれ菓子 心菓子」から軍配餅(男児誕生の初正月に嫁の実家から贈られる)など。

電話で打ち合わせた目印「銀花」を掲げ、金沢駅構内で出会えた千代さんは、おかっぱめいたヘアスタイルで和服姿の、少女のような大人に見えた。そして苔に彩られた広い庭と、家族のさまざまな歳月を映した優雅な室内を持つ金沢郊外の千代家に、この日から幾度もお邪魔することになった。

「日本の菓子」特集は主に京都、奈良へ取材し、日本人と菓子の関わりの歴史をたどった。そして「加賀のお国菓子」。とくに花嫁が近所への挨拶に携えるという「五色生菓子」は、赤や黄や純白の鮮やかな彩り、5色はそれぞれ日月山海里を表す。豪雪と折り合って暮らす彼の地で、長く愛された日持ちのしない素朴な姿に、千代さんが愛おしむことの根幹を見た思いがしたのだった。

千代さんは気取った菓子より駄菓子が好きだった。それもよくまあ、と驚くような不思議な姿形の品々を、日本各地で採集された。「銀花」七十七号特集「かくれ菓子、心菓子」は、そんな彼女の長年の探索行の実りでもある。菓子だけではむろんない。「加賀の朱と金」と題した五十五号の特集では、金沢の工芸を彩る生命の色・朱と、憧憬のシンボル・金色を軸に、やきもの、漆、仏壇、菓子、染色などの優れた仕事を紹介した。六十八号では「能登の家」特集。半島の海沿いに幾棟もの蔵を持つ北前船と縁深い家と、山側に堀を巡らす豪農の館の結構、そして暮らしの日々を取材撮影。伊賀上野で盆の習俗を見事に伝える美しい家と人にも、千代さんと訪ねて行き会えたのだった。

出産を契機に、若い母親を対象にした新雑誌へ移動したり、書籍部門に動いたり、また「銀花」に戻りやがて編集長になり、再び書籍部門に移動したりと、私の編集者人生にも紆余曲折があった。けれど千代さんとはいつも連絡を取り合った。民俗に明るいエッセイストとして多くの仕事で認められ、金沢市民文学賞も受賞した彼女は、常に、新しい作家の小説に触れ、工芸分野にも明るかった。好奇心と探究心は80歳を大分越えられてからも、旺盛なままであった。前向きな彼女はしかし「美しく老いる、なんて不可能」と、醒めた視点も持っていた。早くに夫君を喪いながら、二人の子息を立派に育て上げた人とは、やがて同じ運命を得てしまった私との交流に、さらに深みが増したようにも思える

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千代芳子著『女の心仕事 暮らし12か月』表紙。左が1983年4月文化出版局刊、右が2013年3月北國新聞社刊。

絶版になっている場合が多いだろうが、ネットでなら入手可能と思うので、千代芳子さんの著書をぜひ一冊でも手にとってほしい。たとえば「女の心仕事 暮らし12か月」(初版は1983年文化出版局刊、後に名著シリーズとして北國新聞社から2013年刊)、「女の心菓子」、「女の句読点 暮らし12か月」(いずれも文化出版局刊)や、「ふるさとお菓子はないちもんめ」(北國新聞社刊)など。どの一冊もページを繰れば、心がほっと和むような、豊かな味わいとユーモアに満ちた文章に出会えるはずだ。
(写真はすべて筆者)


萩原 薫プロフィール
1966年東京女子大社会学科卒業。同年より、 文化出版局編集部に所属。
2児の育児休職計1年半を含めた38年間を、同じ職場で雑誌や書籍の編集者として過ごす。主な仕事は雑誌「季刊銀花」編集、暮らしを彩る手仕事を巡る書籍の編集など。後に文化学園大学、文化服装学院で非常勤講師。現在はごくたまに友人に頼まれた私家版限定本の編集など。

(2018/8 よこやまゆうこ)

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