今回は、
こちら
でご紹介した裂織ジャケットを作られた斎藤さんの、ちょっと不思議なたからものの顛末を、ご自身で書いていただきました。
私の宝物は、この大きなワニの絵です。制作は1985年。この年、私は結婚をして、机1つの個人事務所を開いたばかりでした。当時、著作権関連の仕事をしていたのです。
ある日、知人の音楽家から相談を受けました。「1人の画家が画廊とのトラブルで困っている。助けてくれないか」と。画家は、その時代を象徴するような、新進の現代美術家でした。メディアにも取り上げられ、個展は盛況。新作ができると契約画廊に運んでいたのですが、何度目かの展示を終え、残った絵を引き上げようとしたところ、画廊から「預かったものは全て売った」「残った作品はすでに返した」と言われ、作品が返却されないという事態に見舞われていたのです。「返してくれ」「いや、預かっていない」といった応酬で、埒が明かないと言います。
おせっかいな性分もあり、私は作品の奪還に向けて画家とともに動き出しました。まず警察に相談しましたが、そのような民事事件は扱えないとの返答。そこで、新婚の妻にレコーダーを持たせ、客に扮して画廊に在庫を尋ねさせるといった策を練り、その画廊に影響力のありそうな人たちに協力を求めたりもしました。しかし、火中の栗を拾うようなことに関わってくれるはずもなく、打開の見えない日々が続きました。そんななか、伝手をたどって現職の刑事を紹介してもらえることになったのです。
人生で初めて会った刑事は、高級なグレーの生地にチョークで線を引いたようなスーツを着ていました。太いストライプのシャツに花柄のネクタイ、金色に輝く馬車の金具がついたベルトをしめ、靴は黒いクロコダイルのエナメル。よく見れば、シャツの袖口には斜めにローマ字で名前の刺繍がのぞいています。加えてパンチパーマも印象的でした。
私は名刺を交換し、画家を紹介した後、画家が名刺を持参していないことを詫びました。すると刑事さんは、「いやいや、気にしないでください。画家の先生は絵が名刺みたいなものでしょうからな!?」と、なんとも気の利いたセリフを吐いたのです。そして、 「今度お会いする時には、大きな名刺をひとつ……」と続けました。
緊張していた私たちは、なんだか訳がわからず、彼と別れてからやっとその意味に気づきます。後日、私と画家は「大きな名刺」を手に、あらためて訪問しました。刑事さんは、その場で画廊に電話を入れました。「今、そちらとのトラブルで困っている相談者が来ているんですよ。ちょっと事情を聞かせてもらえませんかね」
ほどなく、画廊から作品返却の申し出がありました。すべてではなかったのもの、なんとか諦められる数を残し、作品は画家の手元に戻ることに。足掛け2年。長い間抱えていた問題は、電話1本で一応の決着をみたわけです。
ワニの絵は、その時のお礼とのことで、画家からもらったものです。絵の中で、ワニは沼から上半身を出しています。これから陸に上がろうとしているのか、それとも沈もうとしているのか……。
この絵を見るたびに、私はあの時代を思い出します。その頃起こったいくつものドラマと、足のつかない沼の中で、毎日もがいていたような自分を。
画家はその後も大いに活躍し、いまや美術の世界でその名を知らない人はいないでしょう。彼から”美”を教わり、私はいまの仕事をしているように思います。
後年、あの刑事さんの名前を偶然新聞で見つけました。記事は、彼の収賄事件を報じていました。どうやらどこかで、「とても分厚い名刺」をもらってしまったようです。
竹工芸蒐集家 斎藤正光
(2021/8 よこやまゆうこ)
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