こちら
でご紹介した裂織りの小林純子さんの宝物は、古代アンデスの布の破片です。その道の方の目には、その織りや染めは驚くべき手わざの結集と見えるのです。現在まで太古の色艶を失わないことは驚くべきことだと思います。
古代アンデスでは、土器より織物の方が2千年も早く出現したそうです。そのアンデスから出土した染織品のとても小さな断片です。何年も前に鎌倉のギャラリーのオーナーがお持ちだったものの中から譲ってもらいました。
縦長の断片は幅6㎝、長さは15㎝くらいですが、平織につづれ織りの組み合わせで驚くほど細やかな模様が織り込まれています。もう一方の獣毛によるつづれ織りの布は、まだ鮮やかな染め色を残しています。縫編という不思議な技法の断片は布の縁飾りとして使われたもの、また布にとじ付けるために1本ごとに根本と中ほどをひもで結んだ緑色の羽根は、鳥の羽毛で覆われた貫頭衣の一部だったのだろうと思われます。
古代アンデスでは、古くは紀元前8千年~6千年頃の編物や織物の断片が出土していますが、糸を上げ下げする綜絖を使う腰帯機が紀元前1000年頃からは使われ始め、その後インカ帝国が滅びるまでの全時代を通じて、織機の改良、発達はなかったそうです。腰帯機からはじまり、その後、高機(たかはた)や空引き機を開発することで、より能率的に複雑で精巧な布を織るようになった旧大陸とは対照的です。腰帯機では経糸の一端を杭などに固定し、他の一端を腰で支えて織るので、からだの動きで経糸のテンションを加減調節することができ、また綜絖が少なく筬を使わない分、糸の動きがより自由になります。指先でていねいに糸を拾い上げ、操作することで、作り手の工夫により様々な組織の布を作ることができます。旧大陸で知られるほとんどの染織技法がアンデスでも作られていたそうです。シンプルな道具で、多大な時間をかけ、人の手の働きにより様々なすばらしい染織品が作られたということです。小さな布の断片を見ていると、その細やかな指先操作の技術に驚きますが、それでいて糸に余分な緊張がかけられていないせいか、布の表情に堅苦しさがなく、糸の動きに自由な伸びやかさを感じます。
初めて古代アンデスの布に出会ったのは、1979年に神奈川県立近代美術館で開催されたペルーの天野美術館所蔵品による「プレインカの染織展」でした。織りを勉強し始めた頃にアンデスの様々な染織品を見ることができたのは幸運でした。その後もじり織りの研究会でアンデスのチャンカイから出土したミイラを覆っていたもじり布の組織解明に参加させてもらい、強撚の細い木綿糸でできた小さな布に直接触れることができたのもなつかしい思い出です。裂織を始めた頃には織りと並行して、スプラングという古代アンデスでも使われていた織機を使わず指先で糸(裂き布)を組み、面を作る技法による作品作りもしました。
指先で直接糸を動かすのは、高機で布を織っていくのとはまた違う作業感覚でした。
ゆっくりと時間をかけ、シンプルな道具と丹念で巧みな指先の操作で糸を作り、布にするアンデスの染織品には、作り手と素材との対話の濃さを感じます。文字を持たない社会の作り手がていねいに言葉を紡ぎだしてつくった詩のような趣さえ感じる小さな断片たちです。
小林純子
(2021/12 よこやまゆうこ)
(C)Copyright 2004 Jomon-sha Inc, All rights reserved.
このホームページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。