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<番外編><シリーズ・私のたからもの>『祖母の残した端裂のパッチワーク額』
   こちらでご紹介した家具作家・保知 充さんの宝物は祖母が残した針仕事です。保知さんの丁寧な仕事ぶりは、お祖母さまからしっかり受け継いだものづくりへのDNAにあるようです。
   日常的に正座をする暮らしが遠い昔のことになった今、保知さんの作る3角形の座椅子は、お稽古事で正座する人たちにとって、ありがたい味方です。ものづくりへの姿勢はDNAばかりではなく、幼少の頃、いつも傍らで祖母の手仕事を見ていた、その時間の中で育まれたものであるのかもしれません。
   幼少期の私は、夏休みになると母方の祖母が暮らしていた川崎の伯母の家によく遊びに行った。川崎の家は、兄弟姉妹いとこたちがよく集まる賑やかな場所だった。祖母は、2階にある畳の間の1つ所で裁ち台に向かい、四六時中和裁に精を出していた。私は2階へ上がると、祖母の傍らでいつものむかし話を聞きながら、流れるようなその針仕事の手の動きをよく見つめていた。他愛もない孫たちのはなしの相手をしながらも、その手の動きは正確に針を操っていた。
   明治生まれの祖母は、かつて九州飯塚で建具屋を営む祖父のもと8人の子供たちを育て、職人達の台所をも一手に引き受けながら和裁で家計を助けていた。きっと、私などの到底想像に及ばない苦労があったことだろう。川崎に移り住んでからも、好きな針仕事に打ち込む日々を過ごし、米寿を迎える頃には、それまで長年かけてためていた端裂を使って、様々なパッチワークの作品を「私の形見」として作り上げて親戚中に配った。



   祖母の端裂のパッチワーク作品は、1999年の「季刊銀花」の冬号の「母の手 絲と針の仕事」に義叔母の「我が母語り」として紹介されている。 それら数ある端裂のパッチワークの中に、作品を30号の額装に仕上げたものがある。義叔母や孫たちの手助けもあり、額装は叔父が担当した。その祖母の額は、私がギャラリー等で個展を開く際、壁に掛けてお客様にご覧いただくことにしている。私の大切な 宝物である。
   額は私の手元には2架あって、留め袖の黒部分と短冊状に斜めに配した色柄物とを市松模様に構成したものと、色柄物のみで構成したものである。

   祖母はまた、針仕事の傍ら俳句をたしなみ、その句の中には針仕事を題材に詠んだものも少なくない。喜寿を迎える時の記念に、私家版として出版した句集『春火桶』のタイトルの基になった1句がある。

針運ぶかたへに春の火桶あり   てる女

   祖母は90歳を過ぎてもなお、針仕事と俳句をこよなく愛し続け97歳で天寿を全うした。祖母の針仕事の傍に春火桶の温もりがあったように、私の手仕事のそばにある祖母の残した額を眺める時、今もなお、春火桶にも似た温もりを感じとることができる。
保知 充・長野県塩尻市

個展にて和服姿のお客様に座椅子を試してもらっている様子。
窓ぎわにかかっているのは、座椅子の編みに使う帯状の和紙。
(2023/1 よこやまゆうこ)

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