handmadejapan.comのfeature02でご紹介している手漉き和紙の専門誌『季刊和紙』の最新号が出た。黒谷和紙を特集している。黒谷和紙の里は京都府綾部にある小さな和紙産地である。記事では、10軒ほどの和紙漉きの家で、後継者がいる家は一軒もない、とある。これは、産地としての黒谷は近い将来消える、ということだ。黒谷に限らず、日本文化の根っこの部分である和紙を作る人が激減している。消えつつある伝統工芸の技は和紙に限ったことではないが、時代の趨勢とはいえ、悲しい。
しかし、新しい芽も根付き始めている。『季刊和紙』の編集長であり和紙情報の普及に心血を注いでいる浅野昌平さんによるインタビューの一部を許可を得て紹介する。
堀江春ニさん
(省略)・・・昔からの漉き屋が、今の代で全部跡取りを残していませんから、黒谷の者でやる人は一人もおらんということになります。まず人間生きていくのが大事ということです。誇りも伝統も現実の問題としてはそうきれいことばかりも言っていられません。競争社会で生き残るには、国家的な社会主義政策みないなのをとらなかったら、こういう小さい会社は淘汰されるのが現実。そういうことでみんな紙屋は子供の進路を変えたので、跡取りがいなくなったんです。これは30年程前からはっきりわかっていたんです。現実の問題として今、眼の先に迫ってきたわけです。
福田辻子さん
(省略)・・・良い紙を作ろうと思ったら採算があいません。子供を産んだ時分に、婦人会の総会で和紙組合の組合長さんから、もう将来紙はあかんで、若い人は一人でも外へ出ろと言われました。この人(御主人)に勤めに出てと何べんけんかしたか。組合の倉庫の在庫はいっぱいで身動きならんような時代があったんです。夕方ご飯食べたらまた九時までは漉きました。あがると子供やお父さんはもうぐうぐうと寝とる。息子が5年生くらいのときに「お母ちゃん、寝とるん」と言うんで、「何で」と言ったら、「ぼくが起きたときも仕事しとって、寝るときも仕事しとって、いつ寝るん」って。子供らが学校から帰って紙が済んでると、「おかあちゃん、漉かんでもいいんか」と喜びましたね。もうしょっちゅう漉いていました。それを見ていたら子供も継げって言っても継ぎません。
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