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鬼無里村で漆を掻く人/大出晃さん
 
Feature003『伏見眞樹の竹と漆LINK)』のページで、伏見さんの文章による、大出さんの掻く日本産漆のことに触れた。この夏、伏見さんご一家とともに、長野県戸隠村に近い上水郡鬼無里村(きなさむら)で独り住まいをしながら漆を掻き、野菜を育て、漆の器を作っている大出 晃さんを訪ねた。自然と一体になって暮らす大出流半農半工芸的生活の一端をご紹介しよう。
   

夏たけなわの鬼無里村は、深緑の杉山が迫る山中にひっそりとあった。3年前に自分で建てたという2階建ての家はまだま新しい佇まいで、柿渋に黒べんがらを混ぜて塗った板壁に白い漆喰壁がコントラストをつけている。今回の訪問の目的の一つは、この黒い柿渋板壁を見せて頂くことだった。漆は直射日光にあたると色が褪せてしまうが、柿渋は紫外線にあたると黒みを増す性質があり、板壁は3年たってもま新しい黒を保っていた。ベンガラにより好みの色に着色することもでき、柿渋が木の腐食を防ぎ、マットな表情が好ましい良質の塗料となるようだ。柿渋の力の奥深さだろう。



大出さんは横浜出身、船乗りとなるべく訓練を受けたが漆に興味を持ちはじめ、22才のとき鬼無里村に入り込んで漆掻きを始めた。とはいえ、ノウハウを教えてくれる人もなく、苦労の末、村の古老を口説いて漆掻きを習うことができた。24才になっていた。そしていざ、自分で掻いた漆を塗ってみたが、中国産漆は塗れるのに、純日本産漆はきれいに塗ることができない。そこで、木曽の漆作家佐藤阡朗に弟子入り、修行することとなった。浜っ子にとって厳しい冬の木曽の山あいでの修行はこたえた。修行の疲れを癒さんとニュージーランドにしばらく住み、豊かな自然が残るタスマニアに永住することを本気で考えたこともある。が、漆への興味やみがたく、再び鬼無里村に戻り、今は自分で掻いた漆を使って制作している。





漆を掻く日の大出さんの一日は朝3時半に始まる。現場に着く頃、太陽が登ってくる。漆を掻くのは4日に一度のペース。一日に300匁ほどの漆がとれる。農道添いの漆の木を見に連れて行ってもらった。一抱えもある太い漆の木だ。自然にはえ育った漆であることがわかる。しかし、具合の良い場所に漆の木を見つけても、すぐ掻けるというわけではない。まず、その木の所有者を探さなければならない。境界線も不明な山の中で、その土地の所有者を探すのは簡単ではない。さらに、所有者が村に住んで居るとは限らない。東京や九州に住んでいることもある。探し当て、使用許可をお願いし、使用料の交渉をするのに一ヶ月以上もかかってしまうという。漆の木の樹液が美しい漆器を作るために不可欠な材料であり、大きな産業となっていたことが、昔からこのような木の持ち主の権利を守る習慣を残してきたのだろうと推測した。

太めの木には50カ所くらい傷をつけるところがとれる。一気に樹液を出させると木が枯れてしまうので、状態を見ながら掻くのが肝腎だという。竹を使って足場を組み、地下足袋をはいてかなり上のほうまで掻く。アクロバットのようなポーズで掻くこともあるという危険な仕事だ。習いたいという若者が来たこともあるが、すぐにやめてしまったという。くらくらするような暑さのなか、山を移動し、劇症火傷のようなかぶれを作りながら、わずかな樹液を集めてまわる作業は、なまじの興味覚悟では続かない。今や、日本中でもプロの漆掻きは10人を越えないだろうという。



大出さんのもう一つの情熱は、前山の斜面に作った畑でさまざまな野菜を育てることだ。紫や緑のものを含めるとトマトだけでも10種類、レモンの香りのするバジル、京野菜のとうがらし、丸ナス、オクラ、芽キャベツ、各種かぼちゃ、沖縄野菜のゴーヤまで植えている。世話をしなければいい野菜は育たない、と彼はいう。漆掻きにでない日ば朝から草刈りに追われる。一方、"アート・ファーマー"と称して、蔓による造形を楽しむ遊び心もある。



   

そして、星が天を満たす時間は、制作と読書三昧。今は、土地の蔵に残されていた汁椀に乾漆で口をつけ、片口にしようと作業中だ。乾漆技法を使えばどんな形も自分で創りだせる。木地がなくても漆器が作れる。置かれた環境に自分のほうから歩み寄って創作を試みようという、彼の自由で縛られない生き方を選ぶ姿勢が見えるような気がした。

   

鬼無里村は人口2000人ほど。小さな村にすむということは、地元のビューロクラシーにも関わりを持たざるを得ない。村人や子供たちに善かれと思うことを提案すると、即、じゃ、大出さん、やってください、と任される。教育委員会の依頼で7年間子供たちに水泳を教えたこともある。ある年、村長選挙立候補説明会というのをちょっと覗いてみたら、現村長の対抗者として出席したのは彼一人。村長陣営から"出るのか!?"と問いつめられたという。尾瀬よりもすばらしい水芭蕉の自生地があるという村なら、上手に村おこしもできそうな気がするのだが、今のところ、大出さんは自然相手の暮らしがぞっこん気に入っているようだ。

(2002/8 よこやまゆうこ)

   

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