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 『公文知洋子さんからの投稿』

「工房探訪その41」でご紹介した裂織作家・公文知洋子さんは、裂織をアート表現まで高めた仕事で、国内外の高い評価を得ています。2002年春の海外アーティストとの出会いから「三人展」に発展するまでの経緯やご苦労、交流の様子を投稿して下さいました。しなやかな自然体で取り組まれた展覧会での体験や成果は、これからの公文さんの創作にどのように反映されるのかも楽しみです。

(2007/9 よこやまゆうこ)

 
Exhibition in Bern 2006 / 2006年ベルン展
公文知洋子

木々の葉が色づき始めた2006年初秋、スイスの首都ベルンにて三週間、スイス、ポーランドのテキスタイルアーティストとの「三人展」の機会に恵まれました。ギャラリーは、世界遺産でもある中世都市ベルン旧市街地のメインストリートの時計塔を通り抜け、バラ公園とアーレ川を眼の前にした一角にあります。緩やかな石畳に沿った大きなウインドウからは自然光が入り、とても素敵な佇まいです。色づき始めた木々は日々色濃く変化していきます。青い空と水量豊かなアーレ川、清々しい空気に包み込まれて、人も時もゆったりと流れてゆく心豊かで贅沢な一時でした。
「三人展」の事の始まりは、2002年の春まで遡ることとなります。それはドイツの小さな町でスイスのテキスタイルアーティスト、ローズマリー・レベール(Rosmarie Reber)との出会いからでした。頬に当たる風が冷たい2002年4月半ば、私は通訳の友人とともに、ポーランドとチェコの国境に近いドイツ南東部の小さな町、ゲルリッツ(Goerlitz)に降り立ちました。それはかつて織物で栄えたというこの町で行われるファイバーアートフェスティバルに作品と共に参加するためでした。それまでは日本主催による海外展に出展することはあっても、このような取組みは初めてのことでした。それどころか、個人で海外へ出かけるのは二度目、しかも受け入れ側に全く日本人はいません。ゲルリッツがいったい何処にあるのかさえも確証なく、一ケ月前にやっと正式なスケジュールが届くような有様で、大きな不安の中での旅立ちでした。
ゲルリッツは旧東ドイツに位置し、ヨーロッパ時間の中心線が通る国境の町です。川幅の狭いナイセ川の対岸はポーランド。大声で叫べばその声が届くのではないかと思えるほど。統一ドイツになって10余年、急ピッチで復興を続けるゲルリッツの町並は、中世の面影を色濃く残す静かな佇まいの町です。この町と対岸の町とは、第二次大戦後の国境の書き換えで分断され、ゲルリッツの外れに唯一の国境の橋がありました。かつては一つの町であったナイセ川対岸の住民とはこの橋を挟んで交流が盛んな様子で、私たち参加者も短期間ながらポーランド側の町ズゴルジェレツ(Zgorzelec)で作品展を開き、地元の人たちとの交流会を持ちました。昔はゲルリッツの中心部近くにもう一つ橋があったそうですが、先の戦争で跡形もなく破壊され、そこには現代アート作家による「反戦そして再度自由に行き来できることを願う」メッセージが込められた作品『壊された橋』が設置されていました。とても印象的な作品で今も記憶に鮮やかです。この2年後の2004年に、ポーランドがユーロに加盟することになるのですが、その時真っ先にこの場所に小さな橋が掛けられ、人々の往来するニュースが報道されていました。歓喜する群衆の中に、あの時の事務局の人たちの面影を追い求めながら、彼らの胸中に思いを馳せたことは勿論です。平和の有難さ、大切さを再認識する一こまでした。
 
劇的な印象はまだあります。それはまるで人の目を思わせる屋根裏部屋の窓です。ユーモラスでもあり、人の心を見透かしているようでもあり、とても鮮烈な光景でした。そのようなゲルリッツの町並みで繰り広げられた今回のフェスティバルでは、19カ国、46人のアーティストの作品が、16世紀に建てられた古い教会、墓地、市庁舎、ギャラリー等に展示されました。私の作品『KUSHU-KUSHU』は、古い教会の空間に翻っていました。
滞在中、私たち参加者は事務局が用意してくれたペンションに逗留し、事務局、ギャラリー、教会、食堂として準備されたYWCAの建物とを駆け回り、町並みを楽しみ、多くの友人をつくり、いつしか旅人ではなく一市民のようにゆったりと時を過ごしていました。なかでも最大のお土産は、現在も交流が続いているさまざまな国のアーティストたちとの出会いです。そのなかでもスイスの首都ベルンに在住するローズマリーとは、より親密なつき合いを重ねています。それは彼女が私の作品『series KUSHU-KUSHU』に関心を抱き、声を掛けてくれたことが始まりでした。当時の彼女の作品は素材こそ違えども、表現には相通ずるものがあり、すぐに意気統合しました。帰国時には、2ヵ月後にスイスで行われる姪の結婚式に列席することになっていたので、スイスでの再会を約して別れました。
6月末、姪の結婚式の前々日、ローズマリーとベルンで再会を果たしました。この時、嬉しいオドロキがありました。何と、ゲルリッツのフェスティバルに参加していたポーランド人アーティスト、若くてシャイな女性カシカ・サラモン(Kaska Salamon)がローズマリーの家にステイしているではありませんか!その後、ベルンの住民となったカシカともスイスへ出かける度に再会を重ねていましたが、このカシカが後日の「三人展」の一人となるのです。これも俗に言う「ご縁」というものでしょうか、、、。
 
ローズマリーとの三度目の再会は、2年後の2004年8月1日のスイス建国記念日でした。彼女の家にステイをさせてもらった時、ベルンで「二人展」をしようと誘われたのです。会話の不得手な私に、ローズマリーは筆談を交えてゆっくりと説明してくれ、2年後の2006年の秋に催行の運びとなったのでした。
こうして、次に会うのは2年後の「二人展」の時と思っていたところ、翌2005年の初夏、期せずして再度スイス・チューリッヒへ行くこととなり、その時、ローズマリーからアイガー、メンヒ、ユングフラウの三山が眺望できるラウターブルンネン(Lauterbrunnen)の町にある彼女の山小屋に招待を受けました。ここでは、ゲルリッツで参加していたイタリア人アーティスト、ロベルト・ザネッロ(Roberto Zanello)とともに一週間を過ごしました。その間「二人展」の諸条件や作品構成について再確認ができたことは、とても幸運なことでした。そして 2006年新春、会場が広く使えるようになったのを機に、この企画は前述のポーランド人アーティスト、カシカを迎えて「三人展」へと展開していったのでした。
作品制作は、裂織のジャンルを越えて世界にアピールできるものにしたいとの構想のなか、秋頃より少しずつ進めてゆき、2006年8月にはほぼできあがっていました。並行して、この頃からローズマリーとの本格的なやり取りが始まりました。DM作成、飾付けの日時、オープニングパーティー、最終日はジャズバンドが入るとか言ってきます。こちらとしては、滞在スケジュールを組まなければなりません。そのためのたくさんの質問が出てきました。例えば、搬入開始時間、在廊日時、搬出日時、後半の宿の手配等々。やっとのことで書いた英文の質問メール。そのメールへの返事は“That's all right.”の一言!それで思いました。日本人のように先々まで事細かく決めるようなことはしないのだと。とにかく行ってからのこと。とりあえず滞在期間を決め、チケットの手配をして先ずは一段落。
実はこの後、最大の苦労が待っていました。それは英・独語での日本の裂織の歴史や素材や作品の説明、自己紹介などの資料の準備です。作業は思うように進まず、翻訳も大幅な遅れ。書類整理が大変苦手な私はレイアウト等に手間取ってしまい、作業は連日深夜まで続き、制作よりも大仕事となってしまいました。結局、ドイツ語は間にあわず、オープニング当日、来場者の前でローズマリーが英訳文からドイツ語で紹介してくれて、ことなきを得ました。さらに、制作に 関することはせめて自分の口からと思い、制作意図、素材、工程等の英文を友人に作文してもらいました。案じていたコミュニケーションも、「織りという共通語」が全てを解決、楽しく過ごすことができました。ローズマリーはさぞかし大変だったことでしょう。なにしろ計2週間は寝食を共にしていたのですから。彼女には感謝するばかりです。
 
   
作品の展示は、ローズマリーの通訳を交えながらロベルトが主に動きます。ローズマリーは、金属糸(metal thread)と彩色(paint)を用いた最新作。その表現はより絵画的に進化しています。 カシカは斬新な糸使いで繰り広げるシャレた色構成のニットワーク。身につけても楽しめる作品を展示しました。私は裂織布で構成する作品。ここ7,8年来制作を続けている、藍を主とした裂織布の細片で表現する『series・AGGREGATION』に『赤』をプラスしたもの。このような構成作品の発表は国内外を通して今回が初めてでした。広い会場の大半を提供され、それだけに、不安も大きかったのです。展示構成に関しては、彼らに一任するつもりでいましたが、作品を広げて一緒に眺めているうちに自ずと決まってゆきました!設営の過程での彼らの反応もすこぶる良く、会場の雰囲気もとても気に入っていたので、心穏やかに初日を迎えることができました。ウィンドウ越しに見える作品の藍色が自然光に映えて美しい。道行く人が覗き込み、興味ありげにギャラリーの中へ。そうして今度は会場の中央にある円筒形のメインの青と赤のコンビネーションの作品に吸いつけられるように歩は進んで行きます。それからその作品を一周して夫々の角度からの異なった印象を確かめ、赤い布に映る影に感動し、裂織布の小さなピース一つ一つの形や動きに、来場者各々が持つイメージとダブらせては楽しんでいる様子が窺えました。その後、技法についての質問が続き、会場全体を見渡してようやく素材の話題へと進むのでした。小さな個々のピースの色彩への関心は、その素材が日本伝統の着物の再利用、しかも時を経た日本古来の藍の青と紅絹の赤そのものであること、古いものでは150年も昔の布を使っていると知った時の彼らの驚き。“赤い布はシ・ル・クです”この響きで神秘性が一層増したようでした。薄くて艶やかなその赤い布に映る影に彼らの目は輝き、釘付けになっていくのでした!
私の制作のコンセプトは「軽快で爽やかな裂織表現」。これら長い歴史を持った日本固有の「Japan Blue(藍染めの青)とSafflower's Red(紅絹の赤)」が作り出す色彩のコンビネーションで「力強さ」が加わった表現は、日本古来の素材として新鮮な衝撃を与えたようです。何よりもその色彩構成を楽しんでもらえたことは大変嬉しいことでした。もうひとつの嬉しかったことは、ベルン旧市街地にある85ものギャラリーや店舗が参加して繰り広げる「ショーウインドウエキシビション」が会期の前半と重なり、紹介記事に「日本のアーティストの古い着物を裂いて織った作品は非常に興味深い」という内容のメッセージと写真が掲載されたことです。ローズマリーも自分のことのように喜んでくれたことは言うまでもありません。
 
初日はオープニングパーティ、最終日はサヨナラパーティ。人々はワイン、チーズ、スナックを片手に作品の中に身を置いておしゃべりし、実に楽しそうに過ごします。ジャズバンドが入って音楽と作品のコラボレーションとなった最終日の会場は一段と盛り上がり、大人も子供も楽しんだ秋の一夜とともに「三人展」はフィナーレとなりました。

「私たち三人は2002年の春、ドイツのゲルリッツで出会いました。
その後も親交を深め、今日の作品展を持つことができました。
そして、その時出会った他のアーティストとの交流も続いています。
私たちはテキスタイルを通して素晴らしい仲間を得ました。」


これは、初日のパーティでのローズマリーのスピーチの一部です。会話もままならない私がこの場所にいる不思議さ、出会いの素晴らしさをかみ締め、感激も 一入でそのスピーチに聞き入っていました。
ここ数年、私の世界はゲルリッツの出会いを機に大きく広がっています。なかでもこの度の経験はこれからも更なる出会いを楽しみに制作に励みたいと思う、大きな大きな出来事でした。

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