能登半島の知られざる景色、失われゆく歴史的建造物などを、地元の建築家・高木信治氏が綴ったエッセイをシリーズで紹介しています。高木氏のプロフィールは
シリーズその1
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車で金沢から輪島に向い、「のと里山海道」(旧能登有料道路)を走ると、左方には日本海が続き、千里浜あたりでは砂浜や打ち寄せる波が連続したきれいな風景となって見えてくる。やがて徳田大津インターを過ぎ、旧横田料金所に近づく頃、視界左側の緑の連続がぽっかりと途切れ、左遠方に大きな切妻屋根の家が数軒見えてくる。大きな妻面の天梁(てんばり)と束、白い漆喰壁とともにモノトーンの見事な建築美を見せている。
この3月のまだ雪の残る寒い日に、七尾から羽咋へ向かう七尾街道(東往来)を通ってみた。昼近くにふらりと入ったうどん屋でおじいちゃんに話を聞くと、この町も昔は遊郭が二軒もあったほど栄えたが、時代とともに交通量も減り、さらにバイパスができてからは、この通りもすっかり静かになってしまったという。近年では若い者も減り、空き家も多くなってきているそうな。
能登海浜有料道路が開通する以前は、道は金沢から七尾を通って輪島に向かっていた。その頃の道路は鉄道と平行して走っていたが、人も荷物もほとんどが鉄道で運ばれていた。各駅は町の顔であり、昭和30年代の中頃では、地方の道路はまだほとんどが砂利道で、町の中でも幹線道路だけが舗装されていた。
私は高校2年の夏休み、路肩のアスファルトが溶けそうなほど暑い日に、友人とともに普通自転車で輪島から金沢まで走った日のことを思い出す。七尾をでて東往来を羽咋へ向かってしばらく走ると、大きな妻入りや平入りのどっしりとした家が両側にたくさん見えてきた。高校生の目にもそれらの建物が伝統的で格式のあるものに見えたことを覚えている。そして炎天下、乾いた砂利道を走ってきて、建物の影が連続する町中を通ったとき、そこにオアシスを感じたのだろうか。
この辺りの「あずまだち」といわれる伝統建築は大きな屋根の妻梁と束、そして白漆喰によって構成された妻面を道側に向け、下屋を付けて入り口を設けたファサード(正面)が特徴で、豪快で格式があり、美しい。これは、もともとは金沢あたりの武家屋敷の形式にあり、それがこの地方の格式のある家や寺院の庫裏などに取り入れられ、明治以降に一般化していったものと言われている。このような建物は隣県富山の砺波平野の散居村の中の住居にも見られる。この七尾街道では往時と比べると減ったとはいえ、それでもこの「あずまだち」の建物がぽつんぽつんと残っている。
私は帰り際に、この街道筋の久江にある看板もないさりげない豆腐店に寄った。輪島に帰ってから食した豆腐と油揚げが自然の風味があり、なんと美味しかったことか。「あずまだち」のきれいなファサードとともに忘れられない記憶となっている。*
高木信治氏による『さりげない風景』はビル・ティンギー氏の翻訳で英語版でもアップしています。
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(2014/11 よこやまゆうこ)
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