Home Feature Side Story Shopping About Us
prev.

 

『シリーズ さりげない風景 その8 輪島市 町野の五里分橋(ごりわけばし) 高木信治』

能登半島の知られざる景色、失われゆく歴史的建造物などを、地元の建築家・高木信治氏が綴ったエッセイをシリーズで紹介しています。高木氏のプロフィールはシリーズその1をご覧下さい。

輪島市街から日本海沿いに東へ10kmほど行くと、世界農業遺産に指定された「能登の里山里海」のシンボルスポット「千枚田」があり、さらに走ると窓岩で有名な曽々木に至る。ここを右に曲がって南へしばらく行くと、左手に重要文化財「時國家」の茅葺屋根が見えてくる。その背後にはこんもりとした岩倉山があり、全面の町野川流域には、能登では珍しいほどの広い平野部が広がっていて、ゆったりとした景観となっている。町野町の中心部には鈴屋川に「五里分橋」が架かっている。今は鉄筋コンクリート製であるが、かつては川幅も狭く、木造の橋の周辺にはたくさんのケヤキの樹が茂り、中には周囲12尺(3.6m)の巨木もあったそうだ。暑い日にはその緑陰に多くの人々が納涼に集まってきたという。町野村詩には当時のモノクロ写真が載っている。
この橋は「ごりごり橋」とも呼ばれ、輪島、宇出津、飯田へそれぞれ五里(20km)ということで、昔は陸路の要として町野町(往時は待野とよばれた)は栄えたという。昭和32、33年の大洪水のあと、能登のあちこちで河川改修が行われ災害はなくなってきたが、かつての「五里分橋」のような雰囲気のある、人々が憩うことのできる橋周辺をもう一度再構築することができないものだろうかと思う。
この「五里分橋」のすぐ近くの通りは昔は「どんどろ」と呼ばれ、町の繁華街として女郎屋(遊郭)をはじめ旅館、医院、料亭、蕎麦屋、うどん屋、簡単な風呂屋などあり、戦後は劇場、映画館などもあったそうである。
江戸末期、俳諧が盛んな頃、この町野町から優れた俳人が輩出し、地域の景観を愛でて数々の名句を残した。岩瀬社中で刊行した「俳諧捃玉集(たまひろひ)」には、「尋岐夕照」「岩倉寺晩鐘」「町野川朝霧」「水山暮雪」「岡崎晴嵐」「五里分橋納涼」「舞谷鶯」「岩瀬秋月」「御薪山郭公」「尾山田落雁」「白浜千鳥」「三津屋泊船」の町野十二景も詠まれている。題名だけでも当時の詩情あふれる景観を想像することができる。
この町野の「どんどろ」通りは、今は料理旅館として有名な「藤六(とうろく)」ほか二軒の飲食店があるが、ひっそりとしてかつての面影はない。しかしこの静かな通りにも、新しい変化が生まれつつある。「どんどろポッシュ」という薪ストーブのある個性的なカフェができている。都会にはない、ゆったりとした地方の暮らしのなかのポッシュ(フランス語でポケットの意)として、若い人だけでなく地元のお年寄りも気軽に憩えることができるオアシスになっていきそうだ。
昨年暮れのオープニングにはアイリッシュハープのコンサートが開かれ、集まった人々は金木犀の花の香りただようポッシュでの素晴らしい演奏に、しばしアイルランドの雰囲気にひたり酔いしれたのであった。*

 
高木信治氏による『さりげない風景』はビル・ティンギー氏の翻訳で英語版でもアップしています。ENGLISHから入ってご覧下さい。
    (2015/2 よこやまゆうこ)

(C)Copyright 2004 Jomon-sha Inc, All rights reserved.

このホームページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。

 

(C)Copyright 2000 Johmon-sha Inc, All rights reserved.