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『シリーズ『さりげない風景』その10 朝市、御仮屋小路(おかりやしょうじ)、塗師(ぬし)の家−輪島市 高木信治』

能登半島の知られざる景色、失われゆく歴史的建造物などを、地元の建築家・高木信治氏が綴ったエッセイをシリーズで紹介しています。高木氏のプロフィールはシリーズその1をご覧下さい。

輪島の朝市は、今でこそ観光名所となっているが、昭和30年代頃までは観光客がまだいない、まさに市民の台所だった。朝、漁師町の海士(あま)や輪島崎の女たちや自分の畑の新鮮な野菜を売りにくる近在農家のかあちゃんたちで通りはいっぱいになる。そこへ地元の奥さんたちが買い物籠を下げて出てくるのだ。輪島弁での売り買いの声、朝市で生鮮食品を買った奥さんたちは更に背後の商店に必要な物を買いに入る。朝市の売り手も帰りには各商店に入り、今度は買い手となるのだ。地産地消、朝市と各商店は持ちつ持たれつの良い関係で成り立っていた。朝市も各商店も、そこはかあちゃんたちのコミュニケーションの場となり、さまざまな情報が飛び交っていた。
朝市が観光化すると「朝市通り」と呼ばれるようになったが、この通りはもともとは「本町通り」で親しまれ、輪島の中心商店街であった。さらに以前は塗師屋街であったといわれている。朝市通りは延長約350メートルでL字形をなしていて、本町通りを西方に突きあたり左に折れると川端町、突き当たって右に曲がると御仮屋小路に入る。角には輪島の夏の大祭の夜、神輿の休む御仮屋がある。小路をしばらく行くと輪島川の河口が見えてくるが、このさりげない狭くて短い小路には数軒ではあるが格子戸の家が連なり、輪島の伝統的な雰囲気が今も残っている。




この小路に「塗師の家」がある。輪島の塗師屋の典型的な人前職後の平面配置型(入り口から奥まで「とおりにわ」があり、居住空間が通りに近くて、作業の場や土蔵が後部に位置する)をとる建物で、明治43年の河井町の大半を焼き尽くす大火の後、いち早く建てられた建物である。その後の輪島の塗師屋建築の模範となったと言われている。下屋付き妻入りのシンプルな外観であるが、中に入ると総拭き漆の艶やかな空間が連続する輪島を代表する名建築である。能登の夏の大祭はキリコ祭が有名であるが、輪島のキリコはほとんどが漆塗となっていて、とてもきれいである。毎年夏、8月23日輪島の河井町の重蔵宮の宵祭では、大きな重い神輿とキリコが浜の大松明の周りをぐるぐる廻ってクライマックスとなるのであるが、祭のあとは、すべてのキリコがこの狭い御仮屋小路を通って各町内へ帰って行くのである。
先ほどの「塗師の家」の内部より縦繁格子を通して見る祭のエピローグ、キリコや人々の流れはゆったりとして影絵のように美しい。遠ざかってゆく太鼓や笛、シャンキリ(真鍮製打楽器)の音色は心なしかもう秋の気配を感じさせる輪島の夏祭りの夜半の風情である。
しかしこのキリコの担ぎ手も年々少なくなってきている。今まで輪島の塗師たちが漆文化を育み、全国に出かけ輪島塗を届けてきた。これからは世界各地からURUSHIをめざす若者が集い、キリコを担ぐ日がくることを夢見るのは私だけであろうか。
この「能登ーさりげない風景」は今回で終了する。半島能登にはまだまださりげない風景はたくさんある。一見してさりげないところに確かな歴史や文化があり、訪れてみると味わい深いものがいっぱいある。皆様もふらりと能登へおいでになり、ご自分の「さりげない風景」を探してみて下さい。*

 
高木信治氏による『さりげない風景』はビル・ティンギー氏の翻訳で英語版でもアップしています。ENGLISHから入ってご覧下さい。

能登半島をめぐるさりげない風景の数々を、地元を愛してやまない建築家の目からスケッチしたこのシリーズも今回をもって終了します。私たち縄文社では、2014年1月、能登半島の魅力、輪島塗の現実を英文で情報発信するブログfrom NOTO(www.urushitanteidan2014.blogspot.jp)を企画発足しました。是非、覗いてみて下さい。そしてお知り合いにもお勧めくだされば幸いです。
    (2015/7 よこやまゆうこ)

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